鬼滅の刃 遊郭編 最終話 考察
終わりました。まだまだ余韻の残るテレビアニメ鬼滅の刃・遊郭編11話。まさに残響。遊郭編のオープニング曲は残響散歌で、エンディング曲は朝が来る。
そうか…。残響とはこの最終話が終わっても残る余韻のことで、朝が来るとは、放送後の寝れない時の心情を表している。そして、遊郭編が終わっても次の朝、つまり刀鍛冶の里編はやって来ると。
というくだらない話は置いといて、今回は地獄への道について、徹底的に掘り下げていきたいと思います。いいねと共有ボタンからのリンクコピー、チャンネル登録と通知のONまでよろしくお願いします。では参ろう。
鬼滅の刃 遊郭編 11話 地獄への道
ここは原作と同じ流れで描かれました。まずは妓夫太郎の心残りのシーン。左の明るい方が天国、右の暗い方が地獄。これは「現実世界での分かれ道」という意味でしょうか。
原作ではこのように、二人の間に亀裂が走るようなシーンが描かれています。これはつまり正面を向けば、左が明るい方である梅、右が暗い方である妓夫太郎となり、アニメの分かれ道のシーンと合致します。
これは妓夫太郎のこの後の「俺はこっちに行くから、お前は反対の方、明るい方へ行け」というセリフを、分かりやすくするための演出だと言えます。
妓夫太郎唯一の心残り。それは、自分が育て方を間違ってしまったせいで、梅があのような事件を起こしてしまったのではないか、ということ。ここで気になる発言があります。
「奪われる前に奪え、取り立てろと俺が教えたから、お前は侍の目玉を突いたが」
ここです。僕のコメント欄は全員優秀な考察家。そこで気づかされたのです。この妓夫太郎の発言から視える真意。それは「梅は妓夫太郎の厄介払いを事前に知っていたのではないか」ということ。
これは妄想でしかありませんが、情報をまとめるとその可能性は高い。梅が侍の目を突いたのは、兄を侮辱されたからです。これは公式ファンブックの、堕姫と妓夫太郎のページで確認できます。
妓夫太郎のこの発言。ここに僕はずっと違和感を感じていました。「奪われる前に奪え、取り立てろ」。この教えが侍の目を突くことと、どう関係しているのかと。
「妓夫太郎を奪われる前に侍の目を奪え」
もしもそうだったとしたら…。なんと悲しいことか。梅は女将と侍が話をしているのをたまたま聴くこととなり、今回の事件を起こすに至ったと。ただ、これは一つの推測。他の視点からも視る必要があります。
普通に考えれば、これは性格的なことを指しているだけであり、特にそのような深い意味はない。これも一つの推測。単純に兄の妓夫太郎のことを馬鹿にされ、カッとなってやった。そうなのかもしれない。
みなさんはこの点についてどう思いますか?コメント欄で教えてください。
そして妓夫太郎は地獄への道へ。そこには梅もいました。妓夫太郎は鬼の姿のままなのに、梅は人間時代の姿に戻っています。ここからもいくつか読み取れることがあります。
まず妓夫太郎は、自分が鬼で梅が人間ということで、二人は一緒にいてはいけないと感じた。なので梅を突き放した。
この一瞬で物事を判断する様子は、さすが妓夫太郎といったところ。戦闘でもキレキレの分析能力を発揮していたので、やはり妓夫太郎は地頭が良い。
そしてもう一つ。これもコメント欄で教えていただきました。マジで優秀。妓夫太郎がなぜ鬼のままなのかについて。それは妓夫太郎の、鬼になる時の決意が関係している。
「俺は何度生まれ変わっても必ず鬼になる」
この発言です。この念が妓夫太郎にはずっと残っている。なのでずっと鬼の姿のままなのです。この念を消さない限り、妓夫太郎は人間に戻ることができない。そこを解放したのが梅です。
では反対に、梅はどうして人間の姿に戻れたのか。どうして天国行きの道も示されたのか。ここも整理しておきましょう。梅は自分の意思で鬼になったわけではありません。人間時代に人間も殺していない。
また、生まれた場所と酷い境遇。そして妓夫太郎の教え。梅が侍の目を突いてしまったことは悪いことですが、環境のせいによるところも大きい。なので梅は特別に恩赦を受けた。
でも、鬼になって以降の罪は梅にもあるのではないか。そうも考えられます。ここも非常に深い考察があります。堕姫と妓夫太郎は二人で一つの兄妹。二人はいつも繋がっていた。つまりこういう事です。
「堕姫の罪は妓夫太郎が全て肩代わりしていた」
普段は堕姫の中に妓夫太郎がいる状態。この状態で人を殺したとしても、全て妓夫太郎が罪を背負っていた。妓夫太郎が表に出てきた場合でも、妓夫太郎と堕姫は繋がっている状態。
目を移動させ、妓夫太郎が堕姫を操作する。これにより、人を殺した罪は全て妓夫太郎のものになる。こう考えると、梅の罪が許されたとしてもおかしくはない。深すぎる…。
妓夫太郎は、もうついてくるなと梅を突き放します。梅が妓夫太郎の真意を読み取れるはずがありません。泣きわめく梅。
100年以上もずっと一緒だった二人。昔から少しでも離れると、すぐに泣きわめいていた梅。妓夫太郎はそんな梅が可愛くて仕方がありませんでした。これは妓夫太郎もつらい。不器用すぎる。でも、こうしなければ梅を突き放せない。
「お前とは、もう兄妹でも何でもない」
「俺はこっちに行くから、お前は反対の方、明るい方へ行け」
そう言う妓夫太郎に対し、走り出す梅。妓夫太郎の背中に飛び掛かります。ここからの沢城さんの演技と流れ出すBGMにより、涙腺が完全崩壊。
「離れない!絶対離れないから!」
「ずっと一緒にいるんだから!」
「何回生まれ変わってもアタシはお兄ちゃんの妹になる、絶対に!」
梅の腕にそっと手を添える妓夫太郎。この表情が何とも言えない。誰もが妓夫太郎を醜いと蔑み、近寄ろうともしなかった。そんな自分を唯一愛してくれる存在。それが梅です。
昔の約束の話をする梅。妓夫太郎は思い出します。雪の降る日に二人で、背中蓑を被り寒さを耐え忍んだ記憶。
「俺たちは二人なら最強だ」
「寒いのも、腹ペコなのも全然へっちゃら」
「約束する。ずっと一緒だ。絶対離れない」
「ほら、もう何も怖くないだろ?」
この後の、妓夫太郎が梅をしっかり抱えなおす仕草。これぞ頼れる兄。かっこよすぎる。誰より容姿が醜くても、妹を守る兄の姿は誰よりもかっこいい。
妓夫太郎は歩き出します。地獄への道へ。そして妓夫太郎の姿は人間の姿へ。これは先程の「俺は何度生まれ変わっても必ず鬼になる」という部分が解消されたということ。梅の愛によって。
妓夫太郎は、人間の頃の梅との記憶を思い出すことにより、もう一度人間になりたいと思った。何度生まれ変わっても、梅の兄に生まれたいと思った。これから先、どんな地獄が待ち受けようと…。
まとめ的なもの
深い、深すぎる。確かに幼少期の妓夫太郎の容姿は酷いものでしたが、成長した妓夫太郎はかっこいい。戦う姿のかっこよさとは違う、一人の兄としての真のかっこよさがある。
最後の表情なんて誰よりもかっこいいです。妓夫太郎って鬼だったんだ。最後はそこまで思ってしまいました。炭治郎と禰豆子との対比もあり、ここまで感情移入してしまう鬼は他にはいません。
鬼滅の刃はすごい作品です。アニメ1期のヒノカミで世間を驚かせ、無限列車編で煉獄さんという人物、柱の偉大さを世界に知らしめた。そして今度は、鬼への感情移入で世界中を泣かせた。どんどん世界が引き込まれていく。鬼滅の刃の世界に。
そして今度は刀鍛冶の里編です。放送時期についてはまだ未定ですが、2023年以降が濃厚でしょうか。2022年4月の鬼滅祭で、何かしらの発表があるかもしれません。とりあえずそこに期待。
刀鍛冶の里編は上弦会議から始まります。上弦の声優陣が一気に判明するということで、初回から大盛り上がりは確実。そう考えると、遊郭編で上弦会議をやらなかったのは正解。
みなさんは遊郭編について振り返ってみて、今どう感じていらっしゃるでしょうか?コメント欄で教えてください。というわけで、今回の記事は以上となります。それではまた♪