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【鬼滅の刃】感動最強剣士!継国縁壱のすべて【きめつのやいば】

2020年12月26日

鬼滅の刃 継国縁壱

最強剣士!継国縁壱の人生まとめ

みなさんこんにちは。今回は「縁壱のすべて」をお伝えします。継国縁壱は、僕の中で一番好きなキャラと言っても、過言ではありません。そう思ったのは、つい最近です。

元々好きなキャラではあったのですが、一番とまでは思っていませんでした。しかし、コミックスを全巻読んでみて、縁壱のことが一番好きになりました。

理由は、コミックスを読んだ方なら分かる「戦国コソコソ話」にあります。ここにきてこの話をぶっこんでくるとは、おそらくワニ先生も、縁壱に対して「特別な想い」があったのだと思います。

今日はそのあたりも含めて、縁壱の人生について、ゆっくり語ってみたいと思います。

継国縁壱

継国縁壱。人間、鬼ですら、タイマンで彼に敵う者は一人としていません。誰がどう見ても、作中最強の人物。

初登場は、コミックス2巻・14話でのことです。炭治郎が無惨と対峙した際の回想に、縁壱は一瞬だけ登場しています。この時は、名前や無惨との関係性も、まったく明らかになっていませんでした。

そしてそこから、堕姫や半天狗の脳裏に、無惨の記憶に焼き付いた縁壱が、度々登場していくようになっていきます。

これは、炭治郎が使うヒノカミ神楽の斬撃、そして炭治郎の発する言葉・雰囲気から、無惨と繋がってる鬼の細胞を通して、焼き付いた記憶が呼び起されたことによるものです。それほど無惨にとって縁壱は、驚異的な存在だったということです。

そして、コミックス12巻・99話で初めて、炭吉と話をしている戦国時代の縁壱が登場します。この回想を読み返してみると、本当に当時が懐かしい。ここではまだ縁壱は、名前が明らかになっていません。

公式ファンブックでは「ゆかり深き剣士」と記載されています。そしてこの99話では、前半で上弦が集合しているシーンがあり、そこには黒死牟も初登場しています。

これが実に面白い伏線となっており、黒死牟と縁壱がどことなく似ているということから、当時二人は同一人物なのではないかと、もしかたら兄弟なのではないかと、そういった考察が飛び交っていたものです。

二人とも痣があるし、どことなく雰囲気が似ている。同一人物だとしたら、何で鬼になった?炭吉の家を出て行って、そのまま鬼になったんじゃないか?などなど、当時は盛り上がったものです。

99話の表紙と、ページをめくった先にいる黒死牟の後ろ姿は、まさにこの伏線を狙った、意図的なものだったのでしょう。本当に懐かしい。

そして、ここで語った縁壱の言葉の一つ一つが、とても重要な意味を持っており、最後まで原作を読むと、全ての意味が理解できるものとなっています。

特に印象的なのは「道を極めた者が、たどり着く場所はいつも同じだ」という名言です。この言葉についてもやはり、当時はいろいろな考察がありました。

道を極めるとは、何のことを指しているのか。痣のことなのか、呼吸のことを言っているのか。本当に考察を楽しませてくれました。

結局この言葉については、伏線が回収されたようで、されていないような気がする部分です。辿り着く場所というのが、日の呼吸や赫刀・痣・透き通る世界だけというのなら、なんとなく分かるような気がします。

しかし、縁壱の言葉はもっと深く、何か別のことを言っているような気もします。ここについては後で触れるとして、先に話を進めていきましょう。

回想

縁壱が、先ほどの炭治郎の夢の次に登場したのは、黒死牟戦での回想です。黒死牟戦での回想は、コミックスでいうと20巻に集約されています。

まず一つ目の回想。コミックス20巻・174話。それは、400年前のお話。赤い月の日。黒死牟は、齢80歳を超えているであろう縁壱と出会います。

「痣者の寿命は25歳まで」と言われていましたが、その何倍もの時間を生きていた縁壱。どうして縁壱が長生きできたのかについては、ハッキリとは理由が分かっていません。生まれつきの痣者だったからなのか、日の呼吸や透き通る世界が関係しているのか。

炭治郎の父である竈門炭十郎が、縁壱と似たような境遇でしたが、そもそも炭十郎は痣者だったのか微妙なところなので、ここを関連付けるのは難しいところです。

おそらく縁壱の長生きの秘密は、生まれつきの痣者による特殊体質、日の呼吸、そして常時発動の透き通る世界。これらが複合して、成せたことなのでしょう。

そして回想では、縁壱は黒死牟と一戦交え、黒死牟をあと一歩のところまで追いつめます。しかし、縁壱は戦いの最中に、寿命を迎えることとなりました。

もしも縁壱が寿命を迎えていなければ、全盛期と変わらぬ強さで、黒死牟を倒せていたでしょう。それは、黒死牟も認めていたことです。ここで黒死牟を倒せていたら、無一郎や玄弥は…。それは考えないようにしましょう。

回想2

そして次の回想。コミックス20巻・175話。ここでまた先ほどの、縁壱の名言が関係してきます。この回想で縁壱は、このようなことを言っています。

「兄上、私たちはそれ程大そうなものではない」

「長い長い人の歴史の、ほんの一欠片」

「私たちの才覚を凌ぐ者が、今この瞬間にも産声を上げている」

「彼らがまた、同じ場所まで辿り着くだろう」

「何の心配もいらぬ、私たちは、いつでも安心して人生の幕を引けば良い」

以上が、縁壱が語った言葉です。ここでもまた「同じ場所まで辿り着く」というキーワードが出ています。99話の時点では、何を指しているか分からなかった「同じ場所」の意味。

この回想で、同じ場所というのは「縁壱クラスの強さ」だということがわかりました(正確には厳勝も込み?)

しかし、この縁壱の予想は、見事に外れることとなりました。縁壱クラスの才覚を持つ者は、物語の中に登場していません。

日の呼吸を使っていたであろう剣士は、黒死牟と無惨に全員殺されていますし、ヒノカミ神楽として日の呼吸を継いだ竈門家からも、生まれつきの痣者はいませんでした。

近いと言えば、生まれつき痣があり、透き通る世界を習得した竈門炭十郎ですが、それでも、縁壱クラスの強さではなかったでしょう。

痣者・透き通る世界・赫刀・日の呼吸という面では「炭治郎が縁壱に最も近づいた人物」と言えますが、物語は無惨を倒して終わってしまったので、結局は誰一人として、縁壱と同じ場所に辿り着いたものはいませんでした。

縁壱は、99話の時も175話の時も「自分は大した人間じゃない」といったようなことを言っています。そして175話の回想では「私たちの才覚を凌ぐ者が」と、自分と厳勝がまるで、同レベルだという話し方をしています。

いやいや、縁壱くんは別格だよと…。気づいていなかったのか、それとも過去の境遇から、そういった自己否定が植え付けられてしまったのか。もしかしたらこういった部分も、厳勝の嫉妬心を煽ってしまっていたのかもしれない…

まぁ、縁壱が言いたかったのは、最後に黒死牟も言っていたような「日の呼吸の使い手ではない者たちが、刃を赤く染める」ということや「現代の鬼殺隊の強い者達」のようなことだったのでしょう。

回想3

そして、176話の回想。とうとう体が崩れ去る黒死牟の前に、幼少期の縁壱が現れます。そして、少年縁壱はこう言いました。

「兄上の夢は、この国で一番強い侍になることですか?」

「俺も兄上のようになりたいです」

「俺は、この国で二番目に強い侍になります」

ここは感動的なシーンのはずなのですが、同時に、縁壱の残酷さも浮き彫りにしています。縁壱はどうあがいても、二番目になることができない男。

でもこれを見ると、実は縁壱が黒死牟と戦った時、倒しきらなかったのは、わざとだったんじゃないかとも思えてきます。

縁壱は、一刀で黒死牟を倒せたと思うのです。80歳とはいえ、黒死牟は年老いた縁壱を見て、全盛期と変わらないと言っていました。全盛期の縁壱といえば、無惨と戦った時、日の呼吸の型が完成した時でしょう。

あの時は、無惨ですら斬り刻まれています。でも黒死牟は、頸を少しかすめられただけでした。縁壱は、日の呼吸の型を使っていないようにも見え、全力を出していないようにも見えます。

つまり縁壱は、黒死牟を倒さないことで、二番目の侍になろうとしたのではないでしょうか。でも、それだと寿命も操作したことになりますが…。まぁ、縁壱ならできそう…

幼少期

そして177話からは「幼少期の縁壱と厳勝の回想」が始まります。ここからは、時系列順に、縁壱の人生を振り返っていきましょう。

まずは幼少期。縁壱と厳勝は、武家である継国家に、双子として生まれました。当時、双子は不吉とされていました。さらには、弟の縁壱には額に痣があったので、それを見た父は、すぐに縁壱を殺そうとしています。

しかし、母・朱乃の猛反対から「十になったら寺に出す」ということを条件に、なんとか生きることを許されました。ただ、その後の生活はひどいもので、厳勝とは大きく差をつけられ、たった三畳の部屋で、軟禁に近い生活を強いられていました。

縁壱という名前は、母の朱乃につけてもらった名前で「人と人との繋がりを何より大切に」という想いが込められています。

縁壱は、二歳の時に父から「お前は忌み子で、継国家に災いをもたらすだろう」と言われていました。縁壱はその言葉を信じ、災いが起きないように、自分の存在を無いものと思って息をひそめ、七歳になるまで言葉を話すことはありませんでした。

ここでおそらく縁壱は、性格がある程度決まってしまったのでしょう。後に「自分は大したことがない」といった、卑下する様子を見せていたのも、この幼少期が大きく影響していると思われます。「三つ子の魂百まで」とも言いますから。

母・朱乃は、縁壱が喋らないことから、耳が聞こえないのだと思い込み、喋れるようにという願いを込めた、花札のような耳飾りを縁壱に着けています。この耳飾りは、母の朱乃が「縁壱の耳を温かく照らしてください」と太陽の神様に祈り作られたものです。

この太陽の神様こそが、おそらくヒノカミ様。この「温かく照らす」というキーワードも、耳飾りの謎について、何か重要な意味を持っていそうですよね。

縁壱は母が「自分の耳が聞こえないと思い込んでいる」ということに気づき「私は耳が聞こえます」と初めて言葉を発しています。

朱乃は縁壱が口をきいた後、なぜ今まで喋らなかったのかを尋ねました。本当の理由は、父に「忌み子で災いをもたらす」と言われていたため、自分はここにいてはいけない存在だと、ずっと思いながら過ごしていたからです。

しかし、縁壱はその理由を話しませんでした。それは優しい縁壱が、父を庇ったためです。さらにこのとき縁壱は、自分が口をきかなかったことで、母に心配をかけてしまったことを申し訳なく思っています。縁壱は本当に純粋で、優しい子供でした。

兄の厳勝は、こんな縁壱を哀れに思い、父親の目を盗んでは縁壱の部屋を訪れ、双六や凧揚げなどを教えたり、自ら作った笛を持って行き与えることもありました。

それが父に見つかり、厳勝は頬を殴られることもありましたが、縁壱の所に行くのをやめなかったそうです。この事で、母の朱乃と父は大喧嘩をすることもあり、それに縁壱や厳勝は心を痛めていました。

そして縁壱が七歳の頃、兄の厳勝の前で、初めて言葉を喋ります。それが先ほどの「俺は、この国で二番目に強い侍になります」という部分です。

そして縁壱は、兄の稽古に度々現れるようになり、剣術を習おうとしています。それを見た厳勝の剣術指南役が、軽い気持ちで、縁壱に稽古をつけようとしました。

その結果、厳勝がどれほど打ち込んでも一本取れなかった指南役は、一瞬のうちに縁壱によって倒されてしまいます。縁壱が打ち込んだのは、たったの四発。

打たれた首・胸・腹・足は、骨にこそ異常はなかったものの、拳大に腫れあがっていたそうです。そしてこの後、縁壱は剣術を習おうとすることをやめました。人を打ち付ける感触が耐えがたく、不快なものと知ったからです。

そして縁壱は、剣術よりも兄と、双六や凧揚げなどをしていたいと言っています。しかし厳勝は、剣の道を極めたかった。厳勝は、縁壱の強さを知りたいと食い下がり、なんとか話を聞きだします。そのとき縁壱が語ったのは、このようなことでした。

「打ち込んでくる前に、肺が大きく動く」

「骨の向きや筋肉の収縮、血の流れを良く見ればいい」

これこそが、後に炭治郎たちが開眼する、透き通る世界。しかも、縁壱の場合は他の者とは違い、常時発動のチート体質。縁壱は、生まれつき人の体が透けるように見え、肺の動きや骨の向き、筋肉の収縮や血の流れから、全てを悟っていたようです。

これはおそらく、呼吸が生まれた起源でもあるのでしょう。縁壱は、肺や人間の体の仕組みを知っていたので、どのように動かせば効率よく力を出せるのか、いろんな人を見るうちに、覚えていったのだと思います。

そしてそれは、母・朱乃の病気に気づくことにも繋がっています。縁壱が、母の左にずっと寄り添っていたのは、母の左半身が病気によって不自由だと、透き通る世界で見て知っていたからです。そして、死期までも見えていたとか…

こんな特別な体質と身体能力を持つ縁壱に、厳勝は憎悪と呼ぶほどの、嫉妬心を抱いてしまいます。そしてこの憎悪が、後々の黒死牟へと繋がってしまったのです。

しかし縁壱は、そんな厳勝をよそに、母の死をきっかけに十歳を待たずして、自ら家を出ていきます。父が才覚に気づき、自分を後継ぎに据えようとしていることに、縁壱は気づいていたからです。

厳勝に挨拶をせずに、出ていくこともできたでしょう。しかし縁壱は、厳勝が大好きで、恩義も感じていました。

「いただいたこの笛を兄上だと思い、どれだけ離れていても挫けず、日々精進致します」

こう言い残し、寺へ行くとは言ったものの、寺へは行かず、そのまま縁壱は消息を絶ちました。この後、父は縁壱を寺に探しに行っていますが、そこにはおらず、厳勝が後継ぎになることが決まりました。

そして、厳勝は後を継ぎ結婚。それを見た父は、安心したようにこの世を去っています。

出会い

家を出た縁壱は、寺へは行かず、とにかく走り続けます。ずっと継国家という、狭い檻の中で過ごしてきた縁壱は、自由による開放感からか、一昼夜ひたすら走り続けています。

一昼夜走り続けても、疲れることがない縁壱。これもやはり、呼吸法によるものなのでしょう。縁壱の場合は、覚えるというよりは、生まれ持った呼吸法が特別。到底人が、真似をできるようなモノではないでしょう。

そして、走り続けた先の山の中で、縁壱は、同じ年頃の一人の少女と出会います。少女は、田んぼの中で一人ポツンと立っており、長い間、ぴくりとも動くことがありませんでした。気になった縁壱は、何をしているのかと尋ねます。少女はこう答えます。

「流行り病で、家族みんな死んじまった」

「一人きりになって寂しいから、田んぼにいるおたまじゃくしを連れて帰ろうと思って」

そう言って、少女はまた動かなくなります。しかし日が暮れ始めると、少女は桶に入れていたおたまじゃくしを、田んぼに逃がしてしまいます。

縁壱が「連れて帰らないのか」と言うと、少女は「親兄弟と引き離されるこの子たちが可哀想じゃ」と言いました。縁壱は「じゃあ俺が一緒に家へ帰ろう」と言います。

そこでようやく振り向いた少女は、綺麗な黒曜石のような瞳をした女の子。少女は涙を流していました。これが、縁壱と少女うたの出会い。

これが「運命」というものでしょうか。ちょうど同じ年頃の、ちょうど一人になったばかりの二人が出会い、ここから人生が大きく変わっていく。実はこの二人の出会いがなければ、縁壱と竈門夫婦が出会うこともなかったのです。その理由は、後で分かります。

そして縁壱とうたは、一緒に暮らしていくことになります。うたは、朝から晩までよく喋る子で、縁壱はうたのお陰でようやく、透き通る世界のことを知り、自分が特別だということを知ります。

うたは、糸の切れた凧のようだった縁壱の手を、しっかりと繋いでくれた人。縁壱は、うたと手をつないで歩く田畑への道が、とても幸せだったようです。

そして10年後、二人は夫婦になります。そして間もなく子供を身ごもり、臨月が近づきます。縁壱は、出産に備えて産婆を呼びに出かけました。

日が暮れるまでに戻る予定でしたが、途中で困っている老人を見つけ、老人を山三つ超えた場所まで送り届けます。そして縁壱は、産婆を呼ぶのは明日に回し、大急ぎで家に戻ります。

家路を急ぎましたが、日は暮れていました。そして、玄関の戸を開ける縁壱。戸を開けた先にあったのは、子諸共、鬼に殺されてしまったうたの姿でした。

縁壱は、感情をあまり表に出す人ではありません。なので、この時も平然としていたように見えますが、心ではすごく泣いていたと思います。

うたを殺した鬼に関してですが、公式には分かっていません。しかし、女性であるうたを食べていないことから「十二鬼月の誰かではないか」という見方ができます。

十二鬼月以下の鬼であれば、理性を抑えることができず、うたを食べてしまっていただろうと思うからです。他にも鬼はいるので何とも言えませんが、一番考えられるのはやはり、鬼舞辻無惨ではないでしょうか。

大正でも竈門家を襲い、人間を使って実験をしていた無惨。それと同じ行為を、戦国時代にもしていたのかもしれない。これが一番シックリくるのではないでしょうか。

そして、うたを殺された縁壱は、うたと子供の亡骸を抱えたまま、10日間もその場に佇んでしまいます。ずっと動けなくなるほど、縁壱にとっては辛かったのです。感情を吐き出すこともできず、何もできなかった。

いや、心の中で10日間、ずっと泣いていたのでしょう。家を出て自由になり、うたと出会い、家族と静かに暮らすという夢を持ち、すごく幸せだった縁壱。それを一瞬のうちにして、奪っていってしまった鬼。縁壱は言いました。

「自分が命より大切に思っているものでも、他人は容易く踏みつけにできる」

この言葉も名言です。これは縁壱のことだけでなく、今の僕たちにも言えること。これはまた、別の機会にお話しします。

鬼狩り

うたと子供を失い、10日間も動かなかった縁壱。そこに、鬼の足跡を追ってきた、当時の炎柱と思わしき人物が現れます。炎柱は、うたと子供を弔ってやらねば可哀想だと言い、縁壱を促します。

そしてようやく、縁壱は動き出すことになります。うたと子供の墓を作り、目の前に座り込んでいる縁壱は、呆然とした顔をしており、目はクマができているようにも見えます。

そして、炎柱から鬼狩りの存在を聞き、縁壱は、うたや子供のような悲しい出来事が起きないよう、鬼狩りとして鬼を滅することを決めます。

鬼狩りになった縁壱は、当時の柱たちに呼吸法を教え、鬼狩りを強化していきます。柱たちは優秀で、元々使っていた炎・風・水・雷・岩の剣術の型に、呼吸法を上乗せすることで、飛躍的に力が増していきました。

そこから鬼狩りは、凄まじい勢いで鬼を狩れるようになっていきます。そして、縁壱が鬼狩りとして活動する中、ある時、兄の厳勝が野営で鬼に襲われているのを救い、二人は再会します。

厳勝としては、望まぬ再会。縁壱は、自分の到着が遅れたことで、部下をなくしてしまった厳勝に対し「申し訳ございません、兄上」と言いました。

縁壱は、何も悪いことはしていません。しかし、もっと早く到着していれば救えた命があったことに、自分にも責任があると考えたのです。

常に自責の念を持つという、素晴らしい人間性を、縁壱は持っているのです。ここも、縁壱から学べる点です。

そして兄も鬼狩りに参加し、痣者も増え、鬼狩りはさらにパワーアップしていきます。そんな鬼狩り全盛期の中、ついにこの二人が対峙します。「縁壱vs鬼舞辻無惨」。そこには珠世もいました。

最強対決

文字通り、鬼の最強と、人間の最強の対決。縁壱はこの時、初めて感情をむき出しにした顔をしました。

「出会った瞬間に、私は、この男を倒す為に生まれてきたのだと、わかった」

これも縁壱の名言。勝負は一瞬で決着しました。縁壱は、常時発動の透き通る世界で、出会った瞬間から、無惨の体の仕組みが分かっていました。心臓が七つ、脳が五つ。縁壱は無惨の攻撃を避け、その箇所すべてを、一瞬にして斬ってしまいました。

ここで完成した、縁壱の剣技の型。後に日の呼吸「十三番目の型」と呼ばれるものです。十三番目の型は、日の呼吸の十二個の型を、連続して繰り出すというものです。

無惨の心臓が七つ、脳が五つの、合計十二個の臓器があったということから、それにちなんだ型だとは思うのですが、日の呼吸には幻日虹という防御技もあるので、ここは何とも言えないところです。

そして無惨を、あと一歩のところまで追いつめた縁壱。縁壱はすぐにトドメは刺さず、無惨に対して一つの質問をしています。

「命を何だと思っている?」

しかし、無惨はこれに答えることなく、突然肉体を散らばらせ、逃亡しようとしました。千八百に散らばった肉体。そのうち千五百を斬った縁壱でしたが、三百は取り逃がしてしまいます。

こうして無惨は、生き延びることとなりました。そして残された、縁壱と珠世。縁壱は、珠世の「無惨を倒したい」という言葉を信じ、珠世を見逃しました。

そして、そこに駆け付けた鬼狩りたち。そこで縁壱が聞いたのは、兄が鬼になったということでした。

絶望

鬼舞辻無惨を倒せなかったこと。珠世を逃がしたこと。そして兄の厳勝が鬼になり、さらにはその兄が、当時のお館様を殺してしまったこと。このことで、縁壱は鬼狩りを追放されてしまいます。

無惨を倒せなかったことは、責められる覚えはないと思います。しかし、鬼である珠世を逃がしたことと、兄が鬼になり、お館様を殺してしまったことは、責任を問われても仕方ないかもしれません。

珠世を逃がしたことは、結論としては間違っていなかった。根本的には、厳勝が鬼になったことに、縁壱に責任はないはず。しかし、当時の鬼狩りたちの気持ちも分かります。

自分たちが慕っていたお館様が、仲間だった者に殺され、行き場のない怒りを、親族である縁壱に向けてしまうのは、仕方のないことかもしれません。それに、厳勝を連れてきたのは縁壱ですから…

大正の柱たちを見れば分かりやすいのですが、例えば、炭治郎の妹である禰豆子が、お館様を殺したとなれば、炭治郎に責任がいくのは自然な流れでしょう。それと同じです。獪岳が鬼になった時も、師である桑島慈悟郎は、腹を斬りましたし…

縁壱に対しても、一部の者からは自刃しろ、という声もあったそうです。しかし、当時六つの身で当主になったばかりのお館様が、縁壱の自刃を止めています。

このお館様は、縁壱の兄である厳勝に、自分の父親を殺された直後。心が弱っている状態であるにも関わらずです。これは、当時のお館様の優しさだけというよりは、先見の明によるところが大きいと思います。

縁壱ほどの逸材を、ここで殺してしまってはいけないと。縁壱が真の悪ではなく、真の悪を倒すために、縁壱の力が今後必ず必要になると。当時のお館様は、そこまで考えていたのではないでしょうか。そして、縁壱は鬼狩りを追放。また一人になりました。

竈門夫婦

縁壱は、また一人になりました。とは言え、一部の柱たちとは連絡を取っていたようで、お館様もそれを黙認していました。縁壱が去った後、鬼狩りは段々と弱っていきます。

それは炎柱の書にも記されており、縁壱のように、うまく指導をする人間がいなかったためです。それだけ、縁壱が指導力にも優れていたということ。まぁ、それはそうでしょう。人の体が透けて見え、人体について熟知しているのですから。

そして、鬼狩りを追放されて縁壱が向かった先は、かつてうたと一緒に暮らしていた家でした。これがまた泣かせる。

そしてその道中でまた、運命の出会いが生まれます。縁壱と、竈門夫婦との出会い。鬼に襲われ、逃げ惑う夫婦。炭吉と、当時臨月だったすやこの二人です。縁壱は、鬼に襲われていた二人を助けます。

そして二人の家に招かれるのですが、それがなんと、かつてうたと暮らしていた家だったのです。こんな偶然あるでしょうか。

鬼に襲われている臨月のすやこは、うたと全く同じ状況。過去、鬼に襲われたうたを、救えなかった縁壱。すやこを救うことで縁壱は、心が救われました。

そして臨月だったすやこのため、縁壱が産婆を呼びに行き、翌日無事に娘のすみれが産まれた。これもまた、過去と同じ状況。今度は無事に産婆を連れてくることができ、子供も無事に産まれた。ここでもまた、縁壱は心が救われたのです。

しかし完全に、縁壱の心の傷が癒えたわけではありません。ここからコミックス12巻・99話へと繋がっているのですが、縁壱は自分のことを「何の価値もない男なのだ」と言っています。

そしてしばらく滞在した後、縁壱は一旦竈門家を後にします。炭吉は、縁壱にいてほしかった。縁壱は命の恩人。恩返しをしたいと思ってた。しかし縁壱は、ここであることを思い出していたと思います。

二歳の頃に父に言われた「忌み子」という言葉。「忌み子は災いをもたらす」。その言葉が、縁壱の脳裏によぎったのではないでしょうか。

自分がずっと竈門家にいれば、災いをもたらすことになるかもしれない。今まで起きた惨状を、全て自分の責任だと、縁壱は感じていたのではないでしょうか。

再会

一度は竈門家を後にした縁壱。その後、縁壱が何をしていたのか。空白の2年の様子は、原作では描かれていません。ここは外伝に期待、といったところでしょうか。

そして空白の2年を経て、縁壱は再び竈門家を訪れます。理由は、自身の苦悩や境遇を、誰かに聞いてほしかったから。ある意味人間らしい、素朴な縁壱らしい。そんな理由だと僕は思います。

最強だからといって、同じ人間です。話を聞いてほしいこともあるでしょう。縁壱の妻だったうたは、よく話す人だったそうです。よく話すということは、話を聞いてくれる人でもあったのでしょう。

縁壱はうたのことを想い続けるあまり、ふと炭吉やすやこに、うたを求めたのかもしれません。そして炭吉に明かされる、縁壱の壮絶な人生。炭吉は涙を流し、縁壱の話を聞くだけで、ほとんど声をかけてやることができませんでした。

そんな時にふと現れた、炭吉とすやこの子供であるすみれ。すみれは、縁壱に対し抱っこを乞います。炭吉のすすめもあり、すみれを抱っこする縁壱。無邪気にはしゃぎ笑うすみれ。

それを見た縁壱は、長年流していなかったであろう涙をこぼしました。縁壱にとってすみれは、自分が求めていたものの一つ。炭吉とすやこ、そしてすみれは、縁壱とうたが求めた理想のカタチ。

縁壱はうたを失った時、もうその夢は潰えたと思っていた。しかし、それを違う形で感じることができ、間接的に幸せについて、知ることができたのだと思います。

縁壱はすみれを抱きしめ、手に入れたかったものの暖かさを感じます。本当に縁壱の人生は深い。この事で、どれだけ縁壱の心が救われたか。

僕は思うのです。この運命の出会いは、うたがもたらしたモノなのだろうと。偶然にも竈門夫婦が、縁壱とうたの住んでいた家に住むことになるなんて、本当に運命としか考えられません。

そしてそれは、うたが縁壱を救うために呼び寄せた。そうだったら素敵だなと、僕は思います。

花言葉

縁壱は、しばらく竈門家に滞在していたようです。すみれとも仲良くなり、縁壱はすみれから、とある花を貰っています。それは、白いニチニチソウと、鴇色のニチニチソウです。

鴇色とは、ピンク色のことです。これはコミックス22巻・193話の前に書かれていたことです。この二つの花の花言葉がまた、縁壱の生涯を思わせるものになっています。

白いニチニチソウの花言葉は、生涯の友情。これは縁壱と、炭吉とすやこ、そしてすみれとの友情を思わせます。縁壱は炭吉だけでなく、竈門家全員と友達なのだと。離れていても変わることはなく、一生涯の友達なのだと。

そしてその友情は、日の呼吸と耳飾りという形で、何百年、何千年と続いていく。すごく深い。

そして鴇色、つまりピンク色のニチニチソウの花言葉は、優しい追憶。これがまた泣かせる。すみれが花言葉を、分かっていたわけではないでしょう。しかし、この花言葉も意味が深いものです。

追憶には、過去のことを思い出してしのぶことや、過ぎ去ったことに思いをはせる、というような意味があります。

優しい追憶とは、楽しかった思い出に思いをはせること。すみれが縁壱に渡した花の意味は「楽しかった思い出を思い出してほしい」という意味にも見えてくるのです。

縁壱の楽しかった思い出。それは母との思い出や、厳勝との思い出、そしてうたとの思い出。縁壱は、人を憎むようなことはなかったと思うので、父や鬼狩りたちとの思い出も、楽しい思い出としてあるのではないでしょうか。

それを思い出させるような花言葉は、なんとも感慨深いものではありませんか。辛い過去よりも、楽しかった思い出を思い出してほしい。そんなメッセージのようにも見えます。

別れ

そして縁壱は、すやこの要望もあり、竈門家に日の呼吸を披露します。それを見ていた、すやことすみれは大喜び。炭吉はというと、縁壱の日の呼吸の型を一つも見逃すことなく、瞳に焼きつけました。

それはとても美しく、まるで精霊のようだったと炭治郎は言っています。この美しさこそが、神楽として受け継がれた理由の、一つでもあるようです。

そして、型を披露し終えた縁壱は、炭吉に大切な耳飾りを渡し、竈門家を去ろうとします。炭吉は悟りました。

「ああ、縁壱さんはもうここに来ないのだと」

そして炭吉は言います。

「縁壱さん、後に繋ぎます」

「貴方に守られた命で…俺たちが」

「貴方は価値のない人なんかじゃない」

「何も為せなかったなんて、思わないで下さい」

「そんなこと、絶対誰にも言わせない、俺が」

「この耳飾りも、日の呼吸も後世に伝える」

「約束します」

炭吉の決意は固いもの。しかし日の呼吸を受け継ぐというのは、そんな簡単なものではない。それは縁壱も分かっていたはず。でも縁壱は、炭吉に向かって最大限の笑顔を見せながら「ありがとう」と言いました。

最期

竈門家を去った縁壱。そこから先、二度と縁壱が、竈門家の前に現れることはありませんでした。齢80歳まで、何をしていたのかは分かりません。

おそらくどこかで無惨を狙い、密かに鬼を倒していたのはないでしょうか。しかし、結局のところ無惨は隠れたままだったので、見つけることはできなかった。

そして縁壱は、最後に黒死牟の前に現れた。これは、別れの挨拶だったのかもしれません。縁壱なりの、最期の挨拶。出会ってしまえば、戦わなければならない。それが人間と鬼。

しかし縁壱は、全盛期の実力を持っていたにも関わらず、黒死牟を倒すことはありませんでした。おそらく、倒せたであろうにも関わらずです。

そして、縁壱は寿命を迎えます。縁壱は、この寿命すら分かっていた可能性があります。理由は、過去に母の死期を知っていたことがあるから。人の死期が分かる縁壱です。自分の死期にも気づいていたはず。

なので縁壱は、自分の死期のタイミングに合わせて、黒死牟の前に現れたのではないでしょうか。

つまり、黒死牟こと厳勝に会う時を、わざと死の間際にし、厳勝を倒さず、厳勝に倒されることなく、最期の挨拶をしに行ったということです。

そして一応は、厳勝の前で死ぬことにより、二番目に強い侍という言葉も実現しようとした(厳勝は、勝ち逃げしたと思ってしまったようですが…)。そう考えると、縁壱とは、どこまで人を想う人なのかと、考えさせられるものです。

そして縁壱が亡くなった後、黒死牟は縁壱の亡骸を両断します。両断した縁壱の懐から出てきたのは、亡き妻の着物から作った袋と、それに包まれた、兄からもらった笛でした。

まとめ

以上が、縁壱の人生まとめです。最強の剣士縁壱は、特別な強さを持っていましたが、特別な人間ではありませんでした。素直で素朴な、みんなと変わらない一人の人間です。そして深すぎる。

触れ忘れていましたが、縁壱はうたと子供を失ってから、ずっと独身を貫いています。生涯で愛した女性は、うた一人だったそうです。これもかっこよすぎませんか。

今回、縁壱について深堀りしていくうちに、ますます縁壱についての理解が深まり、もっと好きになることができました。

感情を出していないように見えて、実は心では泣いていたり、いろんな感情を持っていた縁壱。最強剣士ということで、人からは羨ましがられ、しかし幼い頃から恵まれない環境で、大人になっても常に苦境に立たされていた。

でも振り返ってみれば、こういった味のある人生だからこそ、人は魅力的に見えるものなんだと、僕はそう感じました。

縁壱は、現代に住む僕たちにも、いろいろ教えてくれています。ずばり僕の人生は、波乱万丈続きです。みなさんも、いろんな苦悩があり、今まさに苦しんでいる方もいらっしゃるでしょう。

でもそれは縁壱のように、終わってみれば、すごく素晴らしいものに見えるはず。その時は死ぬほど苦しくても、生きてさえいればいい時もあり、全てが合わさって味のある人生になる。

僕は縁壱の人生を見て、そういった感想を持ちました。がんばって生きてみようと。

追記

縁壱が二度目に竈門家を去るとき、耳飾りを渡し、もう来ないようにしたのは、自分が無惨に狙われる可能性があり、竈門家に迷惑をかけられないと、そういう想いもあったのだと思います。

縁壱だって、炭吉やすやこ、そしてすみれと会いたい日もあったでしょう。しかし、縁壱は竈門家の前には現れなかった。

もしかしたら、たまにどこかで見ていたかもしれない。竈門家が、鬼に狙われることがないようにと。

-鬼滅の刃