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【鬼滅の刃】200話考察|悲鳴嶼行冥の真実【きめつのやいば】201話

2020年3月30日

【鬼滅の刃】200話考察|悲鳴嶼行冥の真実【きめつのやいば】201話


鬼滅の刃200話の、悲鳴嶼さんの真実。

分かりにくい部分もあったと思うので、ここでまとめておきます。

自分は手遅れだと皆に言い、最後まで他の隊士のことを気遣っていた悲鳴嶼さん。

そのすぐ後に、寺の子供たちが迎えに来ます。

悲鳴嶼さんは寺にいた頃、先生と呼ばれていたようです。

悲鳴嶼さんの過去が描写されたのは、コミックス16巻。

あの日悲鳴嶼さんから見た事件の顛末は、どのようなものだったのか。

少し振り返ってみたいと思います。

事件

これは、悲鳴嶼さんから見た過去。

悲鳴嶼さんは18歳の頃、獪岳を含めて九人の子供と一緒に暮らしていました。

しかしある夜、言いつけを守らず日が暮れても戻っていなかった獪岳が、鬼と遭遇、自分が助かるために寺の子供と悲鳴嶼さんを売ります。

獪岳は、寺で焚いていた鬼除けの藤の花の香炉を消し、寺の中へ鬼を招き入れます。

そして、すぐに四人が鬼によって殺されてしまいます。

悲鳴嶼さんは、残った四人をなんとか助けようとしますが、言うことを聞いたのは沙代一人だけ。

残り三人は逃げようとした末に、鬼に殺されてしまいます。

悲鳴嶼さんは沙代だけは守らなければならないと、鬼と戦います。

そこで自分の強さに気づき、朝まで鬼の頭を殴り続けた悲鳴嶼さん。

そして、朝になり鬼は消滅。

なんとか悲鳴嶼さんと沙代は生き残りました。

しかし、そこに駆け付けた者に向かって沙代が言ったのは「あの人は化け物。みんなあの人が、みんな殺した」ということ。

駆け付けた者は悲鳴嶼さんがみんなを殺したと勘違いし、悲鳴嶼さんは殺人の罪で投獄されてしまいます。

そして、死刑まで確定していた悲鳴嶼さん。

そこを救ったのが、当時のお館様でした。

以上が、悲鳴嶼さんから見る過去です。

真実

先ほどの話。

真実は少し違います。

まず、獪岳は言いつけである門限を破ったのではなく、お寺の子供たちに追い出されていたということ。

その理由はコミックス17巻に書かれており、獪岳はお寺のお金を盗んだことで、他の子供たちから責められお寺を追い出されていたのです。

悲鳴嶼さんは獪岳のことを鬼から聞くまで、そのことを知りませんでした。

お寺の子供たちからは、獪岳は寝ていると聞いていたためです。

なので今回の200話、子供たちが獪岳のことに対して謝っていたのは、獪岳が寝ていると嘘をついたことに対して。

そして、獪岳を追い出してしまったことで、みんなが殺されてしまったことに対しても。

お寺の子供たちはまだ子供ですから、ちょっと喧嘩して獪岳を追い出しても、明日が来れば大丈夫だと思っていた。

まさかあんなことになるなんて、想像もしていなかった。

だから悲鳴嶼さんも、子供たちを責めることはない。

そして、もう一つの真実。

逃げ出そうとしていた沙代以外の三人は、実は悲鳴嶼さんを守るために動いていたということ。

農具を武器に戦おうと、人を呼びに行こうと。

子供たちは目の見えない悲鳴嶼さんを、守らなければならないと考えたのです。

そのことを今回、知ることができた悲鳴嶼さん。

悲鳴嶼さんは最後の最後で、胸のわだかまりを解消することができました。

コミックス16巻で悲鳴嶼さんは「子供というのは純粋無垢で弱く、すぐ嘘をつき、残酷なことを平気でする。我欲の塊だ」とまで言っていました。

全ては、あの事件があったからです。

獪岳は本当にどうしようもないやつでしたが、他の子供は違った。

そのことに気づけただけでも、悲鳴嶼さんは救われた。

それがこの最後の、笑顔と涙へとつながったのだと思います。

まとめ的なもの

悲鳴嶼さんは亡くなってしまいましたが、鬼殺隊では最強と言われ、無惨消滅に大きく貢献。

そして最後には、子供たちへのわだかまりも解消することができた。

亡くなってしまったのは悲しいことですが、とても救われる死だったと、個人的には思います。

そして、最後に悲鳴嶼さんの手を握っている子供。

これが私は、沙代のような気がしてならない。

この隠の女の子、少し幼く見えますよね。

沙代はあのとき、事件のショックでまともに話せなくなっていました。

そのことをずっと気にしており、今では沙代も十四歳になっているとのこと。

最後の子供は、それくらいの年代に見えないこともない。

二人はいつか会って、話をしてほしかった。

おそらくこれは、ワニ先生なりのやさしさ。

これが沙代とは名言していませんが、沙代っぽい少女を描くことで、沙代と悲鳴嶼さんのわだかまりもここで解消しているような。

そうだったらいいな。

ここなの余談

本日、志村けんさんが亡くなられました。

鬼滅の刃でもたくさんの人が亡くなっていく中、死というものを深く考えさせられます。

悲鳴嶼さんのことに関しても、わだかまりを残したまま死んでしまうと、遺された人にはそれがずっとついてくるといったことを、しみじみと感じます。

「明日さえ来ていたら」

明日さえ来ていたら、話ができたのに。

でも、明日が来る保証なんて誰にもありません。

だからこそ、毎日を全力で生きる必要がある。

そういったことを、死というものを通じて私たちは、再確認する必要がある。

私はそう思います。

志村けんさんは、享年70歳。

今までずっとテレビを通して、みんなを笑わせてきてくれた人です。

四月からは、初の主演映画の撮影も決まっていたそうです。

こんな大事なときに、無惨ウイルスは…

志村けんさん、ご冥福をお祈りしています。

そして、何度も何度も注意喚起しているのですが、とにかく感染をしないように気を付けてください。

若いから安心ではありません。

若くても無症状でお年寄りにうつしてしまい、間接的に人を殺してしまうことだってある。

若くても致死率はゼロパーセントではありません。

まだまだ正体が不明なウイルスだけに、油断は禁物です。

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