鬼滅の刃180話考察
みなさんこんにちわ、ここなです。
今回の記事は「ヒノカミ神楽」についてです。
それではどうぞ♪
ヒノカミ神楽
現在の最新話である180話。
千寿郎から炭治郎へ送られた手紙には、ヒノカミ神楽十三の型について書かれているという事が分かりました。
これは一体どういう事なのか。
少し考えていきたいと思います。
十三の型
そもそも手紙の内容とは「縁壱が無惨と対峙した時の話」に関する内容です。
そこで出てきた「十三の型」という言葉。
炭治郎は十二までしか型を知らないという事実。
これは一体何を意味しているのでしょうか。
縁壱が無惨と対峙した時、十三の型でも倒せなかった?
縁壱が無惨と対峙した時、十三の型でのみ倒せたけど、あえて倒さなかった?
後者であれば、わざわざそれを当時の炎柱に話をするのでしょうか?
当時の炎柱は、縁壱の話を聞いて自信をなくしてしまったそうです。
自信をなくす事と十三の型が関係しているとするならば「十三の型でも無惨は倒せなかった」という事になるのかもしれません。
縁壱の最強の技ですら無惨を倒す事ができなかったため、炎柱の技では到底無理という事。
それに自信をなくしてしまったのかもしれません。
ヒノカミ神楽
今回明らかになった、ヒノカミ神楽に十三の型があるという事。
でもヒノカミ神楽って、壱ノ型とか弐ノ型とか、炭治郎は言った事がないですよね。
水の呼吸では型の数を言っているのに、ヒノカミ神楽ではそれがありません。
これも少し不思議です。
ここにも何か、秘密が隠されているような気がします。
型の数を言わないという事と、炭治郎が十二までしか型を知らないという事。
ここで、私の思いつきを発表しておきます。
炭治郎は十二個の型を知っているけど、その順番を知らないのではないでしょうか。
実は、順番通りにヒノカミ神楽を舞うという事を、十三の型と呼んだりするとか。
はい、微妙です。
記憶
先程のはただの思いつきなのですが、やっぱり有力視されているのは、記憶により十三の型を覚えるという線でしょう。
記憶といっても二種類の記憶があります。
一つは炭治郎自身の記憶。
もう一つは、代々耳飾りによって受け継がれていると思われる、竈門家の記憶です。
炭治郎がヒノカミ神楽を使えるようになったのは、炭治郎自身の記憶によるものです。
炭十郎との会話や、ヒノカミ神楽を舞う炭十郎の姿を思い出した事から、それを戦いに応用する事が出来るようになりました。
累との戦いで、走馬燈を見た時の事です。
しかしおそらくですが、炭治郎自身の記憶では、十三の型を使えるようにはならないと思います。
ここで鍵となるのは、竈門家の記憶です。
以前に炭治郎は、縁壱と竈門炭吉の回想を見た事があります。
それは妓夫太郎との戦いの後、二ヶ月間の昏睡状態に陥っている時の事でした。
あの、竈門家の記憶と思われる回想の続きが、鍵となるのだと思います。
あの後、縁壱から竈門炭吉に何が伝えられたのか。
十三の型はそこで伝えられたのか。
それのヒントとなるのが、黒死牟の回想です。
楽観視
鬼滅の刃176話。
黒死牟こと厳勝の回想の中で、縁壱は耳飾りをしていませんでした。
そこで厳勝は、縁壱が突如、奇妙な楽観視をし始めたと言っています。
縁壱が耳飾りをしていないという事は、既に竈門炭吉に、耳飾りを渡した後の事なのでしょう。
そして、耳飾りと一緒にヒノカミ神楽も、既に伝承済みだったのだと思います。
その事で縁壱が楽観視できたという事は、おそらく十三の型まで炭吉に伝えたとみて間違いないのでしょう。
今の状況では十三の型が無惨を倒す鍵となりそうなので、それが伝承できていなければ、縁壱は楽観視できなかったと思うからです。
まとめ的なもの
私の予想では、炭治郎は間違いなく、ヒノカミ神楽十三の型を使用する日がくると思っています。
問題はそのキッカケです。
自身の記憶での習得は難しいと思われるため、記憶の遺伝がキッカケとなるような気がします。
という事は、回想を見るために意識を失う場面があるかもしれないですよね。
無惨との死闘の中、意識を失い、そこで十三の型を習得。
どこかで見たような場面かもしれませんが、そこに禰豆子もいるなんて展開もあるかも?
十三の型がどんな技か早く見てみたい気がしますが、それを見る時は物語の最終局面になると思います。
見たいけど終わってほしくない。
複雑な気持ちになりますね。
それでは今回はこの辺りで♪