鬼滅の刃 縁壱と無惨
みなさんこんにちわ、ここなです。
今回の記事は「緑壱と無惨」についてです。
それではどうぞ♪
対峙
過去に緑壱は、無惨と対峙したことがあるそうです。
無惨をあと一歩のところまで追い詰めた剣士。
それが緑壱です。
しかし、結局のところ無惨は生きており、最終的に緑壱は、黒死牟の前で立ったまま死んでしまいました。
ここで気になるのは、どうして縁壱は無惨を倒してしまわなかったのか、という問題です。
倒せた?
緑壱は、無惨を倒せたのではないのか。
非常に気になる部分です。
無惨は、普通に首を斬っただけでは死にません。
それは、コミックス16巻の、悲鳴嶼さんの攻撃で明らかになりました。
私は、無惨は赫刀でのみ倒せるのではないかと予想しています。
緑壱は、黒死牟との戦いで赫刀を使っています。
そこで黒死牟は、縁壱に首を斬られる覚悟までしていました。
ハッキリとした根拠はありませんが、今考えられるもので有力なのは、赫刀しかないように思えます。
どうして倒さなかった?
では、どうして緑壱は、無惨をあと一歩のところまで追い詰めたのに、無惨を倒してしまわなかったのか。
ここにも何かしらの裏話が隠されているのではないでしょうか。
一つ噂されているのは、黒死牟の存在です。
緑壱の兄である厳勝は、鬼になり黒死牟と名乗っています。
なので、もし無惨の首を斬って消滅させた場合、同じく鬼である黒死牟も、無惨と同時に消滅してしまいます。
それを知った縁壱は、黒死牟を守るために無惨を見逃した。
そう考えることもできます。
そうなると、緑壱は無惨と対峙した際に、その事を初めて知ったのでしょう。
過去の緑壱のあの優しさを見るに、それを聞いて躊躇してしまったとしてもおかしくはありません。
緑壱は、自分が跡継ぎになることを辞退し、厳勝から貰った笛を宝物のように大事にしていました。
緑壱は、厳勝のことを好いていたのだと思います。
そして、それは大人になっても変わることがなかった。
本当は、鬼である兄も斬り、無惨を倒すのが鬼殺隊の役目。
それが、緑壱にはできなかったのでしょう。
最期
では、どうして老衰した緑壱は、最後に黒死牟を倒そうとしたのか。
それは、労しい兄の姿を見て、最後は自分の手で決着をつけなければならないと考えたからではないでしょうか。
緑壱は、自分の死期が迫っているのを分かっていた。
なので、死ぬ前に兄を倒しておこうと考えたのかもしれません。
おそらく緑壱は、兄を苦しみから解放したいという想いから、黒死牟を倒そうとしたのだと思います。
無惨を倒さずに黒死牟を狙ったのは、自らの手で兄を解放したいという想いがあったからなのかもしれません。
時系列
ここで一旦、時系列を整理してみたいと思います。
というのも、今までの仮説が全て無に返るものを発見したからです。
それは「耳飾り」です。
緑壱は、どこかのタイミングで竈門家の炭吉に、耳飾りとヒノカミ神楽を預けたと思われます。
まず、無惨と対峙した際の緑壱は、耳飾りをしていました。
そして、厳勝が人間時代にも、緑壱は耳飾りをしています。
しかし、175話で耳飾りをつけていた緑壱が、176話では耳飾りをしていませんでした。
このとき厳勝はまだ人間です。
以上の事から、緑壱が無惨と対峙した時は、厳勝は人間だったという事が分かります。
なので、先程の緑壱が黒死牟をかばって無惨を倒さなかったという説は、可能性が薄いということになるのです。
これでまた振り出し…。
時系列としては、無惨と対峙した後に炭吉と出会い、耳飾りとヒノカミ神楽を託した。
そして、そのあと耳飾りをしていない緑壱と厳勝が話をしており、そのあと厳勝が鬼になった。
こうなります。
炭治郎
まだまだ謎だらけの、緑壱と厳勝の過去。
厳勝は、どのように鬼になったのか。
緑壱と無惨が対峙した際、一体何があったのか。
これらは、もうすぐ明らかになると思います。
それにしても、先程の黒死牟をかばって緑壱が無惨を倒せなかったという説。
あれが本当だったなら、炭治郎と禰豆子の間にも、同じような事が起きそうだなと思いました。
無惨を倒せば禰豆子も消滅すると知り、炭治郎が無惨を倒すことを躊躇するという展開です。
ここにはいくつかの説があり、禰豆子は呪いを解いているので、無惨が消滅しても消えないという説もあります。
愈史郎や珠世も同じですね。
そうだとしたら、それが一番ですよね。
全く予測不可能な展開ですが、それがまた面白い鬼滅の刃。
今後の展開が楽しみです。
まとめ的なもの
私の考察は、正しいことだけを考えるものではありません。
あらゆる考察のタネを、人と違った角度から考えていくスタイルとなります。
それは自己満足であり、私の脳トレでもありますw
特に誰かに押しつけているものでもないですし「これが正解だ!」と主張するつもりもありません。
実際に、考察が当たることは稀です。
答えは、作者さんのみぞ知るといったところです。
なので私はこれからも、気楽に考察をしていくだけです。
否定されることも多いですが、そこから学べることも多いので、一部の暴力的なコメント以外は大歓迎です。
結局何が言いたいかというと、否定から入る人が多い世の中で、生きづらい世の中と感じる人も多いのだろうな、ということです。
YouTubeのコメント欄を見ていれば、それが良く分かります。
もっと、生きやすい世の中になればいいなと思いました。
それでは今回はこの辺りで♪