テレビアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編 最終話が放送されて2日が経ちました。まだまだ最終回の余韻が残っています。暫くはこの余韻が続いた後、まだかまだかと、柱稽古編を待つウズウズ感に変わっていくでしょう。
今回は「禰豆子のガッツポーズの本当の理由がヤバすぎた」ということで、お伝えしていきたいと思います。事の発端は、私が禰豆子のあの行動を「ガッツポーズ」と呼んでしまったことにありました。
後にコメント欄でご指摘を頂くことになります。あれはガッツポーズではないと。禰豆子なりに、もっと深い意味があって取った行動なのだと。そうです。「心を燃やせ」。
完全に盲点でした。そんな考え方もできるのだなと。やはり、コメント欄にいる方達は優秀です。その意味を深く知った時、私は鳥肌が立ちました。この気持ちを皆さんにも共有したいと思います。今のうちにいいねとチャンネル登録・共有ボタンもプッシュ。では参ろう。
禰豆子のガッツポーズ(仮)
禰豆子のガッツポーズ(仮)とは、アニメ刀鍛冶の里編 最終話で禰豆子が取った、アニメオリジナルの行動です。その意味をよく理解するために、最終回の一部を振り返ってみましょう。
最終回の流れ
円舞一閃により、半天狗の頸を斬った炭治郎。戦いは終わった。しかし、炭治郎はまだ息を抜けない。夜が明け始めたことで、禰豆子に危険が迫っているからです。禰豆子は、朝日を浴びると消滅してしまう。
半天狗と共に崖から落ちた衝撃で、意識を失っていた禰豆子。目を覚ますも、なかなか動き出さない。炭治郎は禰豆子に声をかけようとしますが、戦いの疲労で声が出ない状態。逆に、開けた場所に出てくる禰豆子。
止める炭治郎に、必死で何かを伝えています。禰豆子が指さす方向には、頸を斬られても尚、生き続ける半天狗の姿がありました。炭治郎が斬ったのは、本体の頸ではなかった。半天狗は胴体だけの状態で、刀鍛冶達を襲っている。間もなく喰われてしまうだろう。すぐに助けに向かう炭治郎。
ここで、タイミング悪く太陽が姿を現してしまう。朝日を浴び、体が妬け始める禰豆子。炭治郎は足を止めた。禰豆子を置いては行けない。禰豆子は体を縮め、炭治郎が覆い被さり朝日から庇う。
半天狗の胴体は、依然 刀鍛冶達を襲っている。誰も助けに来れない状況。このまま禰豆子を庇えば、刀鍛冶達の命はない。刀鍛冶達を助けに行けば、禰豆子は間もなく消滅してしまうだろう。決断を迫られる炭治郎。
しかし、一向に決断できない。このままでは禰豆子を抱きしめたまま、人が喰われるのを傍観してしまうことになる。決断したのは禰豆子でした。禰豆子の蹴り上げ、巴投げ。そして例のシーンです。
スローで流れていく中、禰豆子は炭治郎に何かを伝える。流れる過去の回想。兄妹の絆。禰豆子は笑顔を向け、胸に手を当て握り拳を作った。「心を燃やせ」。まるでその一言で、全てが伝わっていくような感覚。
炭治郎は確かに、禰豆子の想いを受け取っている。涙を流しながら上手く着地し、振り返ることなく半天狗の頸を斬りに行く。そして、透き通る世界によって視えた 半天狗本体を炙り出し、頸を斬ってのけた。
もしも禰豆子の笑顔がなければ。もしも心を燃やせのメッセージがなければ。炭治郎は着地すら出来ず、半天狗の頸を斬れなかったかもしれない。あの一コマは、それだけ重要なシーンだったと思います。
そして戦いは終わり、禰豆子は太陽を克服。誰も死ぬことなく、刀鍛冶の里編はハッピーエンドを迎える。ここは何度見ても感動する。定期的にこのシーンを見て、心を洗おうと思う。
心を燃やせ
そもそも禰豆子の「心を燃やせ」にはどのような意味が含まれているのか。ここは「煉獄さんの最期の言葉」を思い出すことで理解できます。理解するとマジで鳥肌が立ちます。煉獄さんの遺言を、順を追って説明していきましょう。
「竈門少年、俺は君の妹を信じる。鬼殺隊の一員として認める。汽車の中であの少女が、血を流しながら人間を守るのを見た。命をかけて鬼と戦い、人を守る者は、誰が何と言おうと鬼殺隊の一員だ」。
ここから読み取れるのは、禰豆子は煉獄杏寿郎が認めた鬼、鬼殺隊の一員だということ。禰豆子は、もはや炭治郎の妹という 守られるだけの存在ではなく、立派な鬼殺隊士の一人になっていたのです。
まさに、自身の命を懸けて炭治郎を後押しした。禰豆子は、誰が何と言おうと鬼殺隊の一員です。そして遺言の続き。
「胸を張って生きろ。己の弱さや不甲斐なさに、どれだけ打ちのめされようと。心を燃やせ。歯を食いしばって前を向け」。
心を燃やせの前後には、このようなセリフがありました。「己の弱さや不甲斐なさ」というのは、禰豆子を守ってやれなかったことや、禰豆子を人間にしてやれなかったという、この時の炭治郎の気持ちを表している。太陽克服を知る前の炭治郎の気持ちです。
そして「どんなに打ちのめされようと、心を燃やせ。歯を食いしばって前を向け」の部分。ここが深い。これを禰豆子が伝えているとしたら。そろそろヤバさが伝わってきたでしょうか。煉獄さんの遺言は続きます。
「君が足を止めて蹲っても、時間の流れは止まってくれない。共に寄り添って、悲しんではくれない」。
これもまさに、泣き崩れる炭治郎に向けたメッセージ。「心を燃やせ。歯を食いしばって前を向け。蹲るな」。禰豆子は、自分が死ねば炭治郎が悲しむことは分かっていた。なので、心を燃やせのポーズに全てを込めたのです。兄に前を向けと。蹲るなと。そして、ここからが遺言のフィナーレ。
「俺がここで死ぬことは気にするな。柱ならば、後輩の盾となるのは当然だ。柱ならば誰であっても同じことをする。若い芽は摘ませない。もっともっと成長しろ。そして今度は君達が、鬼殺隊を支える柱となるのだ。俺は信じる。君たちを信じる」。
以上が煉獄さんの遺言の全て。最後の部分は、禰豆子の気持ちに置き換えてみましょう。
「私がここで死ぬことは気にしないで。鬼殺隊士なら、人の盾になることは当然。誰でも同じことをする。お兄ちゃん、私がいなくなっても鬼殺隊を続けて。そして、鬼殺隊を支える柱になって。私はお兄ちゃんを信じる」。
煉獄さんの遺言すべてが、あの時の禰豆子の気持ちに当てはまってくる。禰豆子の前を向けというメッセージには、振り返るなという意味もあったでしょう。振り返らずに半天狗の頸を斬れと。
そして、このシーンの真の意味についてですが、これは禰豆子が「煉獄さんの言葉を思い出せ」と言っているのだと私は思いました。禰豆子は直接煉獄さんの言葉を聞いていませんが、炭治郎から話していることは間違いないでしょう。
禰豆子を、鬼殺隊の一員として認めていたこと。そして、遺言のすべてを話していたと思います。それを禰豆子は、炭治郎に思い出してほしかった。言葉が無くても伝わる最善の方法だった。
もしかしたら、二人の中で決めていたポーズだったのかもしれません。つらいことがあっても、くじけそうになっても、煉獄さんの遺言を思い出そう。胸に手を当てよう。そう決めていたのではないでしょうか。
まとめ的なもの
私はずっと、禰豆子の笑顔の意味を探していました。太陽を克服するから大丈夫、私より人を守って。そんな単純ではなかった。アニメオリジナルの行動により、全てが覆された。
おそらく製作者の方も「心を燃やせ」を意識しているのは間違いないでしょう。それにしても、やはり煉獄さんは偉大すぎる。いつまでも心の中に居てくれる。遊郭編でも、刀鍛冶の里編でも。そして、鬼滅の刃が完結するまで。煉獄さんは死んでない。
今回は、久しぶりに興奮しました。煉獄さんが絡むと、やはり深くなる。そろそろ外伝も欲しいところです。柱稽古編では、サプライズで煉獄さんの場面もあるかもしれない。そんな淡い期待を持ちながら、今回は〆たいと思います。いいねとチャンネル登録・共有ボタンもプッシュ。それではまた。