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アニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編 最終話|次は柱稽古編【きめつのやいば】ネタバレ・漫画・考察・炭治郎・禰豆子・玄弥・時透無一郎・甘露寺蜜璃・半天狗・鬼舞辻無惨

2023年6月19日

アニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編 最終話|次は柱稽古編【きめつのやいば】

テレビアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編 最終話の放送が終了。私は現在海外にいますが、今回だけはリアタイで観ることができました。やはり感動した。自然と涙が零れた。アニメオリジナルのエピローグも良かった。

そして最後の「柱稽古編 テレビアニメ化決定」の特報。これを待っていた。柱稽古編は映画かテレビアニメ化か。様々な意見がありましたが、ここは順当にテレビアニメ化に決定。柱稽古編については、放送日や内容についてなど、今後じっくりまとめていきたいと思います。

今回は、アニメ刀鍛冶の里編 最終回の、見どころとして押さえていたポイントについて、アニメで初めて気付いた点などを解説します。いいねとチャンネル登録・共有ボタンもプッシュ。では参ろう。

話数について

まずは直前の予想通り、最終話は原作125話~127話までの内容となりました。最初は129話まで進むと予想していましたが、直前の情報により修正。アニメオリジナルがモリモリの、内容の濃い最終回となりました。

今回、柱稽古編のテレビアニメ化が決定したということで、初めて気づきました。柱稽古編をアニメにする目的だと、刀鍛冶の里編 最終話に盛り込みすぎて、柱稽古編の話数を減らすわけにはいかないと。

ここについては、明日の動画でじっくりと触れましょう。柱稽古編についての見解を、コメント欄でお待ちしております。

オープニング曲とCM

オープニング曲については、遊郭編とほぼ同じ流れとなり、冒頭の絆ノ奇跡は、別の雰囲気のあるBGMに変更されていました。最後のエピローグで〆るためにも、やはりこれは 必要不可欠な要素の一つのようです。

CMについてですが、始まる前のCMがやたら多いなといった印象でした。これはテレビだから仕方なし。途中のCMはカットされるとも言われていましたが、今回はしっかりありました。ネット放送なら、CMなしで観ることができるのでオススメ。

至高の領域

まず、このシーンが良かった。玄弥の投げた木と共に、禰豆子が半天狗に飛び掛かるシーン。アニメならではの臨場感。

そして、原作通りに話は進行していく。今回、甘露寺蜜璃の活躍がもう少し見られるかと思いましたが、ここは原作に忠実でした。その分、10話で徹底的に盛り込まれたといった印象。

逃げ回る半天狗を、追いかける三人。玄弥は鬼化によって脚力が上がっている状態。禰豆子も同様。炭治郎は、呼吸で脚力を上げている。しかし追いつけない。

炭治郎の足は、とうとうダメになってしまう。憎珀天の風圧でやられた足。回復の呼吸という便利な技があるようですが、それも限界がある様子。

ここで炭治郎は思い出す。善逸との会話。雷の呼吸の極意。雷の呼吸は、一番足に意識を集中させる呼吸。「自分の体の寸法、筋肉の一つ一つの形、それら全てを認識してこそ、本物の全集中」。

炭治郎はここで、全集中の極意をマスターしています。全集中の極意は、至高の領域・透き通る世界に通じる極意。透き通る世界を視るための条件に「自分の血管一つ一つまで認識する」というものがあります。

雷の呼吸では筋肉まで、透き通る世界では血管までという違いがある。つまり、雷の呼吸の踏み込みの上位版が、透き通る世界ということになります。また、雷の呼吸は足に意識を集中させるのに対し、透き通る世界は全身に意識を向けなければならない、という違いもある。

透き通る世界は、非常に会得が難しいような印象を受けます。ですが、悲鳴嶼行冥は戦いの最中に会得。伊黒小芭内にいたっては、悲鳴嶼行冥に「体を注視しろ、透けて視えないか」と言われただけで会得。今思えば、二人の才能がよく分かるシーンでした。

恨の鬼

実は結構強い恨の鬼。もう少しで炭治郎の頭が握りつぶされるところでした。言わば、半天狗の最終兵器。極限の極限まで追い込まれた時に発動する、恨の鬼。

ここではアニメオリジナルシーンもありました。漫画では、狂圧鳴波を放つ前に禰豆子が救助に来ていますが、アニメでは狂圧鳴波を放ち、玄弥は攻撃を喰らっています。ただ、憎珀天の放つものより威力は落ちるようで、玄弥はそこまでのダメージは負っていません。

そして、崖から落下していく恨の鬼と炭治郎・禰豆子。ここも漫画より詳細に描かれ、恨の鬼が、自分から崖下に飛び込む様子が描かれています。どうにか刀と炎から逃れようと、取った行動なのでしょう。落下中に木に引っかかる様子もきっちり描かれています。

玄弥の鬼化解除

漫画では、結構見落としがちだったこのシーン。玄弥が爆血の炎により、鬼化を強制解除させられています。これにより、玄弥は朝日によって燃えることがなく、理性も取り戻しました。しかし、このあと戦線離脱してしまいます。

爆血で燃えるということから、おそらく朝日の影響も受けるであろう玄弥。消滅するのかどうかは不明。朝日でも、鬼化が解けていただけなのかも。

そして、崖下に落ちる二人の名前を叫ぶ玄弥。理性を取り戻し、共闘することで二人を認めた玄弥の心中がよく表れています。玄弥が禰豆子の名前を呼ぶのは、ここが初めてです。

時透無一郎の投擲と円舞一閃

残念ながら、時透無一郎の投擲はありませんでした。アニメのオープニングでは、かっこいい投擲シーンがあったのですが、本番では原作通りの流れで進行。必死で声を出す様子が描かれており、無一郎が最後の力を振り絞っている様子がよく分かります。

それもそのはず。毒で弱っている無一郎が、オープニングのようにカッコよく刀を投げていたら、少し違和感を感じる。また、それだけ思い切り投げられるなら、崖の下に助けに行けただろうという違和感もある。

つまり、アニメのオープニングはただのイメージで、あのシーンを思い起こさせる、カッコいいオープニングに仕上げただけだったようです。この後、アニメオリジナルとして無一郎が倒れるシーンがありました。これも、崖下に助けに行けないという描写でしょう。

そして円舞一閃。しっかり雷の呼吸のエフェクトも描かれました。さすがの作画としか言いようがない。BGMもいつもと違ってカッコよかった。

禰豆子のガッツポーズと笑顔

ここからが感動しました。徐々に朝日が昇り始める。まさに「彼は誰時 朝ぼらけ」。太陽が姿を現してきた。禰豆子の燃える様子も痛々しい。本当に肌が妬けているような。漫画では分かりにくかったですが、しっかり体も縮めています。

そして、決断できない炭治郎を蹴り上げるシーン。スローで流れていく中、ここでまさかのアニメオリジナル。禰豆子のガッツポーズ。

そして、ガッツポーズと共に流れ出す「竈門禰豆子のうた」。歌に合わせて、今までの兄妹の絆のシーンが流れていく。涙なしでは見られない。竈門禰豆子のうたの歌詞については、またじっくり考察しましょう。

そして、禰豆子の笑顔の真意。私は二つの意味を提示していました。一つ目は「私よりも人を守って」という、人を優先させる禰豆子の優しさの意味。二つ目は「私は太陽を克服するから大丈夫」という意味。

ここに、アニメオリジナルのガッツポーズがきたことで、尚更おもしろくなりました。ガッツポーズは、どちらの意味にも取れる。「後は頑張って」なのか「私は大丈夫」なのか。あなたはアニメを観てどう思いましたか?感想はコメント欄へ。

笑顔の意味については「人を守って」とい意味があるなら「炭治郎を悲しませない笑顔」の意味もある。炭治郎が最後に見る禰豆子の顔を、苦しい顔にはしたくないという、これも禰豆子の優しさ。「私は大丈夫」という意味なら「安心して行ってこい」でしょうか。本当に深いシーンです。

そして、その後の炭治郎がうまく着地をするシーン。実はこれも、禰豆子の笑顔とガッツポーズがあったからこそ、可能にしたのです。もしも禰豆子が苦しんでいたら、炭治郎は受け身すら出来なかったかもしれない。

まさに絆。二人は同時に、同じ記憶を視ていたのかもしれない。そして、語らずとも伝わった禰豆子の想い。それを受けて炭治郎は、着地を取り、振り返らずに前へ進んだ。涙を零しながら。

決着

戦いは決着。刀鍛冶を襲う半天狗の両腕を斬り落とす。そして、心臓をめがけて斜めに一閃。ここもアニメオリジナル。漫画ではそのまま体内の半天狗を斬っていますが、アニメでは一旦外に放出させています。

そして、半天狗が頸を斬られる瞬間に見る走馬灯。盛られるかなとも思いましたが、ここは結構あっさり。やはり半天狗の過去ですから、そこまで盛大にはやらなかったと。ただ、お奉行様の強い精神力はしっかり観れたので満足。

炭治郎の刀についてですが、実はこのシーンでは、この刀の凄さがよく分かります。炭治郎がこの刀の前に持っていた刀は、遊郭編の後の四代目の刀。四代目では、赫刀状態でなければ半天狗の頸は斬れませんでした。

しかし、五代目の刀、時透無一郎が投げた刀では、半天狗の頸を斬れています。赫刀状態でないにも関わらず。しかも、この刀は第一段階までしか研ぎ終えていません。この時点で、この刀が相当な代物だということが分かる。

そして、斬られた半天狗の頸は、朝日により消滅。これもアニメオリジナル。まるで禰豆子の消滅を表現しているかのような。もうここまできたら燃えますよと。

おはよう

なぜ、わかっていても泣けてしまうのか。この竈門禰豆子のうたが良い。炭治郎の、言葉にならない感じ。禰豆子の口枷が外れ、おはようと言った瞬間、大号泣。

禰豆子最大の目的である、太陽克服。それを成し遂げた禰豆子は、次に自我を取り戻していく。しかしながら、ここから禰豆子の出番は。そういった意味でも、やはり刀鍛冶の里編はとても重要な章でした。玄弥の笑顔と「よかったな、炭治郎、禰豆子」のセリフもやはり良かった。

鬼舞辻無惨の過去

太陽克服を知り、珍しくはしゃぐ鬼舞辻無惨。死体を蹴りながら去っていくのが生々しかった。通称、無惨の死体蹴り。

そして無惨の過去。ここは詳細に描かれています。予想通りナレーションは無惨でした。善良な医者は、やはり少し怪しい様子を漂わせています。こいつが黒幕なのではないかと、まだその線は否めない。

アニメオリジナルの、平安時代の戦いも良かったです。時代を感じさせる。この時代なら、無惨に勝てる者はいなかったでしょう。向かうところ敵なし状態だったと思います。

エピローグ

刀鍛冶の里編のエピローグ。もうすでに太陽は昇り切っています。原作通りにいくかと思いきや、鋼鐵塚の激昂というアニメオリジナルシーンが挿入。ドタバタ劇からの、甘露寺蜜璃乱入。ほんと、よかったねぇ。

ここで絆ノ奇跡が流れるかなと思いきや、エピローグはまだ続く。時間的に、127話以降は無理だなと感じつつ、何が起きるのか期待していました。そういえば、テレビのリアタイでは、2部構成になってるとか書いていませんでしたっけ。あそこで、129話まで行くのかとも期待した。

エピローグの続きでは、復旧する刀鍛冶の里の様子から、炭治郎が蝶屋敷に戻る流れが描かれました。鉄珍との挨拶、鋼鐵塚とのやり取り。炭治郎が里に来たのは、実はお礼を言うためだったという言葉を聞き、照れる鋼鐵塚。小鉄が余計なことを言い、またドタバタ劇。

そして、例の女性の隠が登場。この後のシーンも良かった。目隠しをされ、帰る直前。扉を開けた先にいたのは、炭治郎を見送ろうとする刀鍛冶の里の人たち。このシーン、私の中で既視感がありました。

ナルトが里の人に認められたシーン。あれだと思います。同じような既視感を感じた人はいますか?他の漫画でもあったかもしれない。感じた人はコメント欄へ。

まとめ的なもの

エピローグが終わると、いよいよ絆ノ奇跡が流れ出す。ここからはエンドロールが流れ、遊郭編と同じ流れに入っていく。この歌も、何度聞いたことか。最後まで流れるのも乙。

やはり、アニメの主題歌というのは心に残るものです。紅蓮華・竈門炭治郎のうた・炎・残響散歌・絆ノ奇跡。どれも忘れることができない名曲。

あと、遊郭編・刀鍛冶の里編とじっくり考察してきたことで、もう一度最初からアニメを観たいと思った。無限列車編公開から、もう3年が経とうとしている。時が経つのは早いです。

柱稽古編は、正直箸休め的な章となるけども、その先の無限城編がヤバすぎる。海外ファンも取り込むということで、ワールドツアーはもう一度やりそうな予感。そのあたりも考えて、次回の動画で考察してみます。

一旦は刀鍛冶の里編完結ということで、みなさんお疲れ様でした。毎週月曜は寝不足になり、つらかった人もいるでしょう。でもそのつらさも、時が経てば笑って話せるようになるでしょう。

いつかは終わってしまう鬼滅の刃ですが、最後までぜひお付き合いください。完結の時、あなたは一体どこにいて、何をしているのでしょうか。今回の記事は以上です。いいねとチャンネル登録、共有ボタンもプッシュ。それではまた。

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