今年の4月から公開される、鬼滅の刃・刀鍛冶の里編。今回は、その刀鍛冶の里編のキーパーソン、「不死川玄弥」のご紹介をします。柱の一人、「不死川実弥」の弟である玄弥は、どのような人物なのか。プロフィールや特徴、名場面などを取り上げ、深く解説していきます。
1.プロフィール
玄弥は、竈門炭治郎や我妻善逸、嘴平伊之助、栗花落カナヲと同期の16歳。誕生日は1月7日。身長は選別時160cmでしたが、後に炭治郎と再会したときは、180cmと大柄な体格になっていました。体重も56kgから76kgまで増え、恵まれた体格であるとわかります。
出身地は東京府京橋區で、現在の中央区京橋にあたります。趣味は盆栽で、好きなものはスイカ。声は、岡本信彦さんが担当しています。
2.人物像
玄弥は、実弥の弟ということから想像できるように、「粗野」な面が目立ちます。
みなさんも、初登場時の印象が特に強いのではないでしょうか。初登場の最終選別のときは、早く刀をよこすよう、案内役の童子に暴力を振るったシーンがありました。また、刀鍛冶の里編では、親しくしようとする炭治郎に暴言を吐いたり、温泉に沈めようとしたり、度々粗暴な性格が見られました。
この粗野な面は、過去の回想シーンでも見られたように、日常的に暴力をふるっていた、父親譲りな部分もあると思います。
しかし、これは早く兄の実弥に追いつきたいという、「焦り」から見られた表面的な性格でもあります。自分には鬼狩りとしての才能がなく、柱になるため必死にならなければならない。その焦りが玄弥を粗野な性格に導いていた、とも想像できます。
実際、刀鍛冶の里編で、炭治郎や甘露寺蜜璃などと上弦の肆の鬼を倒したあとは、「自信がついた」、「柱になる条件を達成した」、「炭治郎という寛大な理解者を得た」ことなどから、段々と落ち着いた面を見せるようになります。
そして、玄弥の行動は、「兄の実弥に謝りたい」、「助けになりたい」という想いから行動していることが、徐々に明らかになります。また、兄弟が殺される前は、その兄弟の世話をしていたことや、闘いにおいては、仲間想いの面も明らかになり、優しい心の持ち主であることがわかります。
表面的には粗野な性格が目立ちますが、内面は人のことを思いやる気持ちの強い、優しい性格であると感じます。
3.特徴
玄弥といえば「鬼喰い」できることが、一番の特徴ではないでしょうか。玄弥は鬼を食べることで、一時的に鬼の能力を得ることができるんです。
最終決戦の際には、黒死牟が鬼喰いを「300年前に見たことがある」と述べており、他にも同じ特性を持つ人物はいたそうです。ですが、「300年前」と言っているように、非常に希少な特性でもあることがわかります。
鬼喰いができる人は、鬼の特性をとりこんで、一時的に自分の力にすることができるので、玄弥の場合、体を穴だらけにされたり、胴を両断されても死なないなど、高い生命力を得ることができるとわかります。
元々玄弥が鬼食いを始めたのは、自分に剣士としての力がないことから、精神的に追い詰められ、鬼の力を借りてまでも柱まで昇りつめよう、と思いついたことがきっかけだそう。
正直発想自体はかなりぶっとんでます。ですがここでも、柱まで昇りつめて実弥に認められたい、過去のことを謝りたい、という玄弥の真面目な性格や一途な気持ちを感じることができます。兄のことを想いここまで努力できるのは、本当に感心させられます。
また、玄弥は剣士としての才能に乏しいため、日輪刀をあまり使用せず、代わりに「大口径南蛮銃」を主に使用します。使う弾は、年中太陽の光が当たる陽光山で採取可能な、「猩々緋砂鉄・猩々緋鉱石」から作られており、日輪刀ほどの攻撃力はないが、弱い鬼なら倒すことのできる攻撃力を誇っています。
ちなみに、銃を撃ったときの反動で腕を骨折するほど、負担のかかる武器であるそうですが、これをメインの武器にしている玄弥は、相当の力の持ち主であるとも読み取れます。
4.刀鍛冶の里編
そんな玄弥が最初に活躍するのは、4月からアニメが公開される、刀鍛冶の里編。玄弥は、半天狗から分裂した鬼と戦うことになります。
ここでは、炭治郎や禰豆子とともに分裂した鬼と闘いますが、相手は上弦の鬼。分裂した鬼の一人・哀絶にお腹を刺されてしまいます。瀕死状態に陥ってもおかしくない大ダメージを受けてしまいますが、逆に相手の頭を南蛮銃で討ちぬいたり、なんとか闘いを続けます。
そしてこの闘いの最中、初めて鬼喰いのシーンが登場。致命傷を受けていた玄弥ですが、鬼を食べたため、なんとお腹の傷が回復してました。
しかし、鬼化が進むと同時に、理性も失ってしまうことになります。炭治郎と遭遇すると首をつかんで、「自分が上弦の鬼を倒して柱になる」と言い放ちます。
ここでは、炭治郎が「三人で頑張ろう!」と、「くもりなきまなこ」で言ったため、無事収束します。穏やかな性格の炭治郎ではなく、伊之助や善逸だったらどうなっていたのか...。先が思いやられます...。他の隊士だったら、揉めて討伐できていなかったかもしれません。
そして再び、玄弥は炭治郎や禰豆子らと協力し、半天狗から分裂した鬼たちに立ち向かいます。
その後、闘いの中で、玄弥は小さな半天狗を相手することになります。しかし、極小の半天狗に気を取られすぎて、他の鬼から致命傷を受けそうになってしまいます。このときは、炭治郎に間一髪助けられますが、ある走馬灯を見ました。
それは、兄・実弥との過去の思い出。最期の瞬間になろうとしていたときも、実弥への想いが強いがために、真っ先に実弥との思い出が浮かんだのでしょう。鬼喰いで鬼化が進んでも、一切忘れることのない実弥への想い。度々見えるそんな一途な想いには、本当に感動させられます。
終盤では、分裂した鬼四体を取り込んでできた憎珀天と、本体半天狗との闘いへ。玄弥は途中再び鬼喰いをし、半天狗本体が巨大化した際も腕を引きちぎるなど、鬼喰いの効果を活かして闘い抜きます。最後は炭治郎が半天狗の本体を斬り、玄弥たちは勝利を収めることができたのでした。
5.最終決戦
最終決戦では、上弦の壱の鬼・黒死牟との決戦に参加します。
最初に黒死牟と遭遇した無一郎が、必死に闘いますが、黒死牟は格上。お腹を刺されて、柱に打ち付けになってしまいます。それを陰から見ていたのが玄弥。建物の柱に隠れて、黒死牟を狙い撃ちします。
しかし、撃った直後に黒死牟は背後に移動しており、知らぬ間に左腕が斬り落とされてしまいました。さらに右腕も斬り落とされ、一瞬で絶体絶命の状況に。そして、胴体も斬り落とされます。しかし、玄弥は特異な体質をもっているおかげか、即死はせず。
それならと次は首を狙われますが、ここで現れたのが兄の実弥。実弥が攻撃を繰り出し、なんとか最後のとどめは逃れられます。
ここで実弥は玄弥に、「家族増やして爺になるまで生きてりゃあ良かったんだよ」、「お袋にしてやれなかった分も、弟や妹にしてやれなかった分も、お前がお前の女房や子供を幸せにすりゃあ良かっただろうが」、と言い放ちます。
この発言から、実は実弥は、玄弥のことが嫌いで突き放していたのではなく、鬼狩りの道を諦めさせようとしたために、冷たく接していたのだと想像できます。ここは、時透兄弟の姿とも被ります。実弥は兄として、玄弥を必死に守ろうとしていたのです。
玄弥が実弥のことを一途に想っていることは、最終決戦までのあらすじから読み取れましたが、その間実弥もずっと玄弥を想っていたのでした。
今までは、玄弥が実弥に近づきたい一心で頑張ってきたように、実弥も、「よくも俺の弟を刻みやがったなァ」、「許さねェェ!!」と、玄弥への想いを力に、黒死牟に立ち向かいます。しっかりと結ばれていた兄弟の絆に感動させられます。
一方で、胴体を真っ二つに斬られた玄弥ですが、まだまだ闘おうと、無一郎に胴体をつけてもらうようお願いします。ここで力尽きず、闘いへの意欲を失わないのは、兄の実弥を助けたいと思う気持ちも、大きく力になったのではないでしょうか。
そして胴体をつける際、黒死牟の髪の毛を食べることで、今までで一番の鬼喰いの力を発揮します。食べたのは少量でしたが、回復の速度がすさまじく、胴体・腕の姿が戻ります。
そして、実弥、悲鳴嶼行冥、無一郎の3人で戦っているところ、玄弥も参戦しようとします。しかし、先ほど大きく攻撃を受けた影響もあり、黒死牟に対して自信が持てず、建物の陰から一歩踏み出せずにいました。
そこで思い出したのは、鬼狩りの中で一番、と言ってもいいほど仲を深めた炭治郎の一言。それは、「一番弱い人が一番可能性を持っているんだよ」という、玄弥に向けたセリフ。
その一言を思い出した玄弥は、なんと黒死牟の刀の破片を食べ、さらに鬼化して大きな力を得ます。南蛮銃も変化し、強力になった銃で撃った一撃は、黒死牟の守りをよけて体中にヒット。
そして、弾の入った部分から根をはやし、動きを止める血気術を放ちます。その効果もあり、なんとか黒死牟の首を斬り落とすことに成功。玄弥は黒死牟討伐に大きく貢献します。
しかし、黒死牟を討伐する前に、玄弥は体を縦半分に切断されていました。さすがの玄弥でもこの攻撃で瀕死状態に。鬼化が進んだ玄弥は、鬼のように体が崩れていってしまいます。
ここで玄弥は、やっと直接実弥に謝罪ができました。それは、過去鬼となった母親を実弥が殺し、そのことについて攻めたこと。そして、同時に感謝の気持ちも伝えます。それは、今まで兄として守ってくれたこと。今回の闘いや、兄弟で住んでいたときのことなどでしょう。
最期に、実弥が今後幸せに生きてほしいという願いや、「兄ちゃんは一番この世で優しい人」、「ありがとう」という想いを伝え、玄弥は旅立ってしまいました。実弥は、最後に玄弥の素直な気持ちを聞き、号泣。
2人天国で会うときが来たら、どうか仲良く笑いあっていてほしい。そんな気持ちを抱かされる最後の別れでした。
最後に
最後にお互いの気持ちを知ることができた、不死川兄弟。この2人をみて私は、「身近にいる大切な人を、当たり前の存在だと思わないこと」の大切さを伝えたいです。
玄弥、実弥は最後にお互いの気持ちを知れたものの、2人とももっと優しく、もっと想いを伝えられていたらと、後悔の気持ちもあったのではないでしょうか。特に実弥は、最終決戦の場面まで、玄弥へ素直に気持ちを伝えることができませんでした。
なんでもっと話をしなかったのか、素直に気持ちを伝えられなかったのか。絶対に後悔があるはずです。その気持ちは、相手がいなくなったら伝えることができません。いなくなってからでは遅いのです。
ただもし、この日玄弥が死ぬと知っていたら、きっと実弥は前々から気持ちを伝えていたはずです。実弥にとって玄弥が、「当たり前の存在」になっていたことも、伝えられなかった一つの理由なのではないでしょうか。
日常を過ごしていると、身近な人の存在を「当たり前」だと思い込んでしまうこと、みなさんもありませんか。特に親や恋人など、一緒にいる時間が長いほど、この先何十年も同じ状況が続くのだろうと、思い込んでしまうことがあります。
しかし、そんなことは「当たり前」ではありません。事故や病気で急に大切な人が亡くなる。確率は低いかもしれませんが、起こりうる出来事です。日々のニュースを見ていると、そんな出来事に遭遇してしまった人が毎日のようにいると、肌で感じます。
もし、あなたの身近な人も、ふとした瞬間に亡くなっていたら...。想像したくありませんが、そんな状況に出くわしたら辛いに決まっています。そして、「なぜあのとき、こうしていなかったんだろう」、「なぜあのとき、素直な気持ちを伝えられなかったのだろう」という後悔も、出てくるかもしれません。
そんな辛い気持ちで最期の瞬間を迎えないためにも、「身近にいる大切な人を、当たり前の存在だと思わないこと」を心に刻んで、感謝の気持ちを積極的に伝えるよう、心がけてみてはいかがでしょうか...?