無限列車編で煉獄杏寿郎は透き通る世界を…
みなさんこんばんは。煉獄杏寿郎は透き通る世界を会得していのか。永遠の謎であるこの問題。答えは明確です。
結論「煉獄杏寿郎は透き通る世界を会得しかけていた」
つまり、猗窩座を倒す一歩手前だった。その理由は色々と用意してあります。まずは、透き通る世界とは何なのかについて、振り返っていきましょう。
透き通る世界
透き通る世界とは何なのか。まず、会得するとどのような状態になるのか。透き通る世界を会得した者は、自身や他者の身体の中が透けて見えるようになり、さらに時間の流れすら遅く感じるようになります。
究極まで無駄な動きや感覚をそぎ落とした結果、その領域まで達することができます。元を辿れば透き通る世界は、継国縁壱の先天性の能力のようなもの。
生まれついて透き通る世界を開眼していた縁壱は、自身の筋肉や血管までも自由に操ることができました。そのため、一昼夜走り続けても疲れないという、驚異的な体力を持っていました。
そしてその体力こそが、ヒノカミ神楽こと日の呼吸を使うための、体力・呼吸法とも繋がります。それを大正になって会得していたのが、炭治郎の父である竈門炭十郎です。
竈門炭十郎もそうですが、竈門家は代々、この透き通る世界という能力を会得していた可能性があります。ヒノカミ神楽という伝統と約束を守り続けるため、極寒の中、一晩中舞い続けることで自然と開眼するもの。
炭十郎いわく、大切なのは正しい呼吸と正しい動き。自分の体の形を血管一つ一つまで認識し、その後に無駄な動きや感覚をそぎ落としていく。そうすることで、やがて自身の筋肉や血管までも、自在に操れるようになっていきます。
そして、最小限の動作で最大限の力を発揮できるようになる。その状態まで達した時、頭の中の不要な思考も削がれ、段々と頭の中が透明になっていく。そして「透き通る世界」が見え始める。
縁壱はこれを生まれ持って会得していましたが、通常の人間はものすごい努力をしなければ、この領域まで達することはできません。弛まぬ努力を続けてこそ、到達できる領域。
透き通る世界の本質は、無我の境地あるいは明鏡止水と呼ばれる領域。呼吸する事と同じように、水が流れ落ちる事と同じように、自然に殺す事。猗窩座が至高の領域と呼んでいたのも、この透き通る世界の領域のことです。
作中で透き通る世界を会得した者は、竈門炭十郎・竈門炭治郎・黒死牟・悲鳴嶼行冥、そして一瞬ですが時透無一郎と伊黒小芭内。黒死牟や時透無一郎は、血統の良さや日の呼吸に近い人物として、開眼しやすいというのもあったでしょう。
悲鳴嶼行冥については、目の見えない代わりに、透き通る世界が見えやすい状態にあったのかもしれません。なので、透き通る世界とは目で見る視覚情報ではなく、あくまで頭の中が透明になるという状態のことです。
伊黒小芭内に関しては、それこそ誰よりも非力でしたから、無駄な動きや感覚を元からそぎ落としていた状態にありました。なので、悲鳴嶼行冥に言われてすぐに開眼できたのでしょう。
では、ここからが本題。煉獄杏寿郎が、透き通る世界を会得しかけていた理由について。ここを掘り下げていきましょう。
煉獄杏寿郎と透き通る世界
煉獄さんは透き通る世界の領域に達するまで、あと一歩というところでした。
その理由はいくつかあります。無限列車編で魘夢を倒した後、出血する炭治郎の体の中を、透かして見ていた煉獄さん。これはまさに、透き通る世界でしか見ることができないものです。
そして、猗窩座が煉獄さんを「至高の領域に近い」と表現したこと。猗窩座の言う至高の領域とは「透き通る世界」のことです。
そしてもう一つ。透き通る世界には過去の話が関連してきます。これは妄想でしかありません。戦国時代に継国縁壱と煉獄家は、親しい関係性にあったと思います。
継国縁壱が妻のうたを鬼に殺された時、最初に駆け付けたのは当時の煉獄さんです。他にも、縁壱が鬼狩りを追放された時、罵倒する他の鬼狩りから縁壱をかばっていたのも、当時の煉獄さんです。
当時の煉獄さんは、縁壱の強さ、縁壱の悲しみを知っていました。縁壱からしても、当時の煉獄さんを頼っていた部分もあったのではないでしょうか。
そのため二人の友好関係は、他の鬼狩りよりも深かったはず。なので透き通る世界についても、当時はある程度話をしていたはず。
しかし、これについては当時の煉獄さんが挫折をしてしまったため、伝承はされていかなかった可能性が高い。でも、炎の呼吸は代々伝承されていった。挫折したとはいえ、炎柱の書は残していました。
もしも炎の呼吸法の中に、自然と透き通る世界に通じるものが組み込まれているとしたら。とてもワクワクする話ではありませんか。しかし、ここで一つ問題が。
その炎柱の書は、杏寿郎の父・煉獄槇寿郎がズタズタに破いてしまっていました。透き通る世界について書かれていたとしても、そこに辿り着けないもどかしさ・絶望感から、炎柱の書を破いてしまったのかもしれません。
そして息子の煉獄杏寿郎は、独学で炎の呼吸を会得した。そしてなんと、独学で鍛錬を重ね、思考の領域、つまり透き通る世界の領域まで、あと一歩のところまで達することができたのです。
ということはやはり、炎の呼吸法の中に自然と、透き通る世界に通じるものが組み込まれていた。また、炎の呼吸は日の呼吸に、最も近かったという可能性もあります。
煉獄杏寿郎は、確かに「透き通る世界まであと一歩」というところまでいきました。その理由は、戦国時代から続く炎の呼吸の伝承も関係している。そして、痣と同じく時代を超えて、大正時代に透き通る世界を開眼するものが現れた。
もしかしたら痣と同じく透き通る世界も、最初に開眼した者から伝搬するように、周りの者も開眼していくとか。そのきっかけは、煉獄杏寿郎だったのかもしれません。
まとめ
僕なりの結論。
「煉獄杏寿郎は、透き通る世界の領域一歩手前だった。もしも開眼していたら、猗窩座を倒していた可能性が高い」
こうなります。煉獄杏寿郎の透き通る世界とは、炭治郎の体の中を透かして見るというレベルのもの。おそらく他者を見れるということは、自身の体も見えていたはず。
しかし透き通る世界の本質は、頭の中を透明にすること。世界全体が透き通って見えるようになる状態が本質。なので煉獄杏寿郎の透き通る世界は、まだまだ本質ではなかったということになります。
もしも煉獄さんが透き通る世界を開眼していたら、炭治郎と同じように闘気感知されることなく、猗窩座の頸を斬れていた可能性が高い。さらに無限列車編のタイミングなら、猗窩座は復活できていなかったかもしれない。いやどうだろう。ここはまた別の動画で考えてみましょう。
透き通る世界は、武術にも当てはまるものがあります。武術の型は、最初に一つ一つの動きを覚えていきます。当然最初は思い出しながら行うため、疲れも溜まります。
しかし稽古を続けていくうちに、段々と体が動きを覚えていき、頭で考えることなく、自然に動くことが出来るようになっていきます。そしてさらにその精度を上げていくことで、無駄な動きや力みが削ぎ落されていく。
これを極めると、本当に頭の中が真っ白な状態、つまり透明・透き通る世界の領域まで達することができます。この状態が、武術において一番良い状態・最強の状態です。
これは瞑想や坐禅の原理にも似ており、それを生まれながらにして会得していた縁壱は、やはりすごいとしか言いようがない。そして煉獄杏寿郎が、独学でその領域あと一歩というところまでいったことも、これまたすごいとしか言いようがない。
さらに言うならば、猗窩座が何百年かけて到達できていないレベルまで、煉獄杏寿郎が21年で到達一歩手前というのもすごい。やっぱり煉獄さんはすごい人です。
ということで、今回はこの辺りにしておきましょう。次回は煉獄杏寿郎と赫刀について、考えてみたいと思います。みなさんは煉獄杏寿郎と透き通る世界について、どうお考えでしょうか?意見をお待ちしております。
それではまた♪