みなさんこんにちわ、ここなです。
今回の記事は「実弥と玄弥」についてです。
それではどうぞ♪
実弥と玄弥
今回注目したのは、実弥と玄弥の名前についてです。
ふと思ったのです。
実弥と玄弥の「弥」の部分は同じ。
では、実と玄には何か意味があるのだろうか。
という事で、一つずつ意味を見ていきましょう。
実弥
実弥の実という漢字。
実には「嘘偽りのないこと・真実・本当」という意味があります。
もうこれはただ一つ。
「弟玄弥への、真実の愛」しかないでしょう。
めっちゃ無理やりですよね。
もっと奥深く考えるなら「実弥の真実は違う」という意味が込められていたのかもしれません。
黒死牟との戦いの際、実弥が玄弥を救うまで、二人の間には溝がありました。
禰豆子を刺した時の実弥は、真実の姿ではなかった。
昔玄弥の前で笑顔を見せていた実弥こそ、真実の実弥。
最後に玄弥の前で涙を流していた実弥こそ、真実の実弥。
そう思うと何だか泣けてきます。
アニメ勢の人はまだしばらく、真実の実弥を知らないでしょうし。
玄弥
次は玄弥の玄です。
玄には、意味深な意味があります。
まず、玄を色で表すのであれば、黒色だそうです。
そしてその黒色は「天地玄黄」といわれ、天の色とも呼ばれています。
天といえば、天に召された玄弥。
元々そういう設定だったのか…
最初から玄弥は死ぬ運命を…
とまぁ、それは考えすぎですかね。
他にも玄には「深い」という意味や「遠い」という意味もあるそうです。
あと、これはかなり難しいのですが「老子の玄」なるものも存在します。
玄は有無を同時に生み出す場所?
玄の玄は「衆妙の門」に繋がる。
とか、なんとかかんとか。
有無というのが人間と鬼なのか、玄の玄、つまり玄弥を真に読み解くと、鬼滅の刃の世界の真相が見えてくるとか。
老子に詳しい方、バトンタッチ。
玄実
これは「げんさね」と呼ばれているそうです。
でも今回はこれを「げんじつ」と読んでみましょう。
「だから何?」
そう言われたらおしまいです。
反対に読んだら「じつげん」
二人の夢は実現する的な?
否、現実は違う?
これもちょっと無理矢理すぎますね。
でも、玄と実。
何だか「幻と現実」のような、対照的なイメージを受けます。
二人の夢は行き違い、最後の最後まで道が重なることはなかった。
玄弥は天に召され、実弥はその現実を受け止める。
悲しい兄弟の物語。
なんて感じでまとめておきますw
まとめ的なもの
考察とは言えないことを、堂々と動画にして出してしまう。
それがここなクオリティ。
でもやっぱり、名前には意味があってほしいですよね。
何だかもっと深い意味がありそうで、なさそうで。
後付けするにも結構難しいものだと思うので、読者が勝手に色々考えておくくらいがちょうどいいのかも?
ということで皆さんは、実弥と玄弥の名前について、どうお考えでしょうか。
コメント欄で教えてくださいね♪
考察は以上です♪
ここなの余談
昨日はわたくし、伊勢神宮の朔日参りに行っていました。
でも、朔日餅は買う勇気はありません。
400人くらい並んでいたからです。
気温は3度くらい。
何時間も外で並ぶのは、私には無理です。
なのでもし朔日参りをされる方は、早いうちから並ばれたほうがいいかもしれません。
でも、それでも何時間も待たないといけないので、ちょっと過酷ですが…
私は後で知ったのですが、朔日餅って予約が出来るそうです。
来年は2月1日から朔日餅が発売されるので、今度は予約しようかなと思います。
というわけで、余談はここで終了です♪
それではまた♪