【鬼滅の刃 遊郭編】堕姫って本当に天国に行けたの?
みなさんこんばんは。今回の記事は、鬼滅の刃・遊郭編に登場する「堕姫が本当は天国に行けたのではないか説」について、考察していきたいと思います。
堕姫といえば「鬼滅の刃・遊郭編」のボス的存在の鬼。というよりも、実は遊郭編って堕姫と妓夫太郎以外、他の鬼は一切登場していません。
コミックスで言うと「9巻から11巻」という、割と長いストーリーではありますが、登場した鬼はたったの2体だけ。遊郭編の登場人物すべてを数えても、そこまで多くはありません。
今回の本題は「堕姫が本当は天国に行けていたのではないか」という説について。
遊郭編の終盤。宇髄天元や炭治郎達かまぼこ隊は、ついに堕姫と妓夫太郎の頸を斬ることに成功します。鬼は頸を斬られ消滅すると、地獄への道を辿ることになります。
堕姫と妓夫太郎も同じく、消滅した後に回想を経て、地獄への道を二人で進むことになりました。しかし堕姫と妓夫太郎の場合は、他の鬼とは少し違った内容のものでした。
堕姫は地獄への道で、人間時代の姿である梅の姿で現れました。累の場合もそうでしたが、鬼は地獄への道で人間の姿に戻ることがあります。
累の場合は累の親が現れ「累と一緒に家族全員が地獄に行く」という流れになりました。ここで分かるのは「天国へ行ける人間は、地獄に行く選択も取れる」ということです。
では、逆はどうなのでしょうか?地獄行きが決まっている者が、天国に行く資格があるのかどうか。普通に考えたらそれは無いでしょう。
明らかに地獄の方が辛いのに、誰もが天国を選べるのであれば、全員が天国行きを選ぶことになるからです。
しかし、堕姫の場合は特例だった可能性があります。その根拠となるのがこの発言です。妓夫太郎が地獄へ向かう際、ついてくる梅に向かって言った発言です。
「俺はこっちに行くから、お前は反対の方、明るい方へ行け」
「俺はこっちに行くから」というのは、おそらく暗い方である地獄。明るい方というのが、おそらく天国のことでしょう。
梅は兄と離れることを嫌がり、結局は妓夫太郎について地獄に行くことになります。このとき梅が天国への道を選んでいたら、一体どうなっていたのでしょうか。
梅は本当に天国に行けたのかどうか。もしかしたら、道はあるけど直前で弾かれてしまうなど、絶対に行くことができなかったりするのかもしれません。
子供の時に鬼になったから、梅は天国行きを許された?いやしかし、それならば累もそうだったはず。
累は言っていました。
「山ほど人を殺した僕は、地獄に行くよね。父さんと母さんと同じところへは行けないよね」
なぜか鬼は、自分が地獄行きだという事を悟っています。妓夫太郎も明るい方が見えているのに、自分は地獄行きだと、まるで最初から分かっているような様子でした。
鬼の時は、人を殺しても何とも思わないけれど、それが地獄行きの道まで来ると、一気に罪悪感を感じてしまうのでしょうか。自分は決して天国に行ってはいけないと。
神という存在がいて、これも全ては神の意向によるものなのか。はたまた作者の気まぐれによるものなのか。謎だらけの地獄行きの道。
今度は少し違った視点から考えていきましょう。鬼になった理由や経緯が、天国行きか地獄行きかを決めているのではないか。
鬼になった理由と経緯
鬼になった理由や経緯が、天国行きか地獄行きかを決めているのではないか。そこを考えてみましょう。
まずは累の場合。累が鬼になった理由は、病弱だった体を治すためです。累は生まれながらに病弱で、走ることはおろか、歩くことすらままならない状態でした。
そんな弱みにつけこみ、鬼にならないかと持ち掛ける鬼舞辻無惨。どうして累のような子供に無惨は声をかけたのか。これは無惨の過去の境遇が、累の境遇と似ていたためです。
鬼になれば夜しか動けないけれど、外で走り回ることができる。累は「病弱で動けないよりはそちらの方がマシ」という選択を取りました。
ここがポイントです。累は、自分の意思で鬼になる事を決めています。無惨にそそのかされた、ある意味被害者とはいえ、累は自分で鬼になる事を決めたのです。
ここが堕姫とは違う点。堕姫が鬼になった理由は、妓夫太郎が梅を生かそうとしたからです。つまりここに梅の意思はありません。
累と梅、二人は人間時代に人を殺めていません。そして、鬼になった後は二人とも人を殺めています。なので、鬼の時に人を殺めたかどうかというのは、天国行きと地獄行きに関係がないと言えます。
重要なのは、鬼になる意思があったかどうかです。累の場合は有り、梅の場合は無し。ただ、単純にこの理由だけとは限りません。
天国と地獄。人間時代の様々な行いが、それを左右しているのではないでしょうか。
累と梅の違い
累は生まれながらにして病弱でしたが、両親に愛され、家庭環境としては恵まれた環境で育っています。しかし、自分の意思で鬼になり、両親までもその手にかけてしまいます。
対して梅は劣悪な環境に生まれ、兄と共にたくましく育ちます。しかし、仕事中に侍の目をかんざしで突いてしまったことで、報復として生きたまま焼かれる事になりました。
梅が侍の目をかんざしで突いたのは、愛する兄を侮辱されたためです。それだけ梅は、兄の妓夫太郎を愛していました。そして、その愛する兄の妓夫太郎の願いによって、梅は鬼になり生かされる事になります。
累と梅の違いはここでも明白です。累は、自分の置かれている恵まれた環境に気付けず、自分のために鬼になり、家族を手にかけてしまいました。
梅は「兄と二人なら何でも乗り越えられる」という一心で、辛い環境にもめげずに生き、鬼になっても「兄と一緒に」という気持ちは変わることがありませんでした。
累は恵まれた環境に生まれ、自分のために家族を捨てた。梅は劣悪な環境に生まれ、兄と共に生きる道を選んだ。そしてそれは、鬼になっても変わることがなかった。
正直なところ、累が地獄行きだというのは納得です。そして、梅が天国行きの道を示されたのも、これまた納得です。
天国行きか地獄行きか。これは様々な要素から判断されていると思います。ギリギリラインの堕姫に関しては「あえて選ばせる」という道が示されたのかもしれません。
他の鬼
累や堕姫以外にも、地獄行きの道を通っていった者がいます。まずは猗窩座こと狛治。狛治は人間時代に人を殺めてしまっているので、この時点で地獄行きは確定しているでしょう。
狛治は地獄へ向かう際、恋雪と共に炎に包まれていく様子が描かれました。これは「恋雪も狛治と一緒に地獄へ向かった」という描写です。実際にファンブックでも、地獄にいる恋雪の姿があります。
地獄についていった者についてですが、おそらくは刑罰を受けず、付き添っているだけだと思います。地獄にいるのは何千年・何億年・何兆年ということですから、付き添っているだけでも地獄のようなものですが…。
これはネタですが「地獄へ勤務する狛治」というものが面白かったです。毎日8時~17時まで地獄へ勤務し、恋雪の待つ家に帰宅する。そんな感じだったら半分は天国のようなものです。
そしてもう一組、天国と地獄の分かれ道で印象に残った人物がいます。それは不死川親子です。不死川実弥は最終決戦で重症を負い「もう少しで弟の玄弥のいる天国へ向かう」というところまで行きました。
そこにいたのは不死川志津。実弥や玄弥の母親です。志津は、自分が我が子を手にかけてしまったことで、天国に行ってはいけないと思っていました。
そんな母に付き添い、一緒に地獄へ行こうとする実弥。最終的には、父親によって実弥は生かされることになります。なので「あそこは死が確定した場所ではない」ということも言えます。
ということで、まとめに入ります。
まとめ的なもの
僕たちの世界にも地獄は存在するのか。それは誰も知らないことです。しかし鬼滅の刃の世界には、確かに地獄が存在しています。
これは仏教の教えですが、地獄へはある戒律を破った者が行くとされています。それを「五戒」と言います。
生き物を殺さない。嘘をつかない。盗みをしない。享楽に溺れない。酒を飲まないの五つの戒律。これらを完全に守り抜くことで、天国への道が開かれるそうです。
しかしこの戒律はかなり厳しいもので、生き物を殺さない不殺生においては、虫はもちろん、鶏肉や豚肉を食べることもNGなんだとか…。
他にも、嘘をつかないや酒を飲まないなども、よほど意識をしていない限り守り抜くのは困難です。鬼滅の刃の世界では、これほど厳しい基準はないと思いますが、これに近い要素はあると考えられます。
そして最後にもう一つ。地獄へ付き添った者は、どうして地獄へ付き添うという選択を取ったのか。答えは明白です。「次生まれ変わってもずっと一緒にいたいから」。
累の両親は累と、恋雪は狛治と、そして梅は妓夫太郎と。生まれ変わっても一緒にいたいから、一緒に地獄へ向かったのです。
梅は言っていました。
「離れない。絶対離れないから」
「ずっと一緒にいるんだから」
「何回生まれ変わっても、アタシはお兄ちゃんの妹になる絶対に」
この発言からも、梅は妓夫太郎と一緒にいたいから地獄へ行ったのだと分かります。そして「生まれ変わっても」という発言から「地獄で一緒に生まれ変わる」という意思も読み取れます。
この意味が分かっていると、より一層感動的なシーンとなりますよね。そう考えると実弥の父親は、志津とずっと一緒にいたいから地獄に行ったと。二人の関係性もまた面白い。
ということで、今回の記事は以上となります。皆さんは、天国と地獄について何を感じますでしょうか。コメント欄で教えてください。
それではまた♪
余談
みなさんは、天国や地獄があると思いますか?最近僕はよく「死んだらどうなるのだろう」と考えることがあります。
考えたところで答えは絶対に出ませんが、死んだ後に続きはあるのでしょうか?
様々な臨死体験の情報もありますが、それも真実かどうかは誰にも分からない。
最近は「頑張る」ということを全くしていない僕です。このまま、のらりくらりと生きていきたい。でも働かなくちゃ…
そもそも生まれた場所が違うだけで、将来的に幸せか不幸かは変わってくる。自分の力で切り開くなど限度がある。人にもよる。
平凡な家庭で平凡に生まれることが、どれだけの幸せか。ある意味才能とも言える。
変わった環境に生まれて、波乱万丈な人生を送り続けてきた。最近やっと普通の生活を送れていることに、幸せを感じる瞬間がある。
普通がゴールなんです。これ以上何もいらない。普通が続いてほしい。だけど、これからまた波乱万丈な日々が来るのでしょう。分かります。
人に何かを伝えるお役目だとか、俺にはあると思えない。人間には、大して生きる意味などない。
さて、来年はどうなるのでしょうか。