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アニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編9話|上弦の伍・玉壺の回想が無かった理由|玉壺が負けた本当の理由【きめつのやいば】ネタバレ・漫画・霞柱 時透無一郎・霞の呼吸 朧

2023年6月6日

アニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編9話|上弦の伍・玉壺の回想が無かった理由|玉壺が負けた本当の理由【きめつのやいば】ネタバレ・漫画・霞柱 時透無一郎・霞の呼吸 朧

テレビアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編も9話が終了。アニメ刀鍛冶の里編も、残すところ後2話となりました。10話で甘露寺蜜璃の活躍があり、11話でクライマックス。正直なところ早すぎる。序盤中盤は割とゆったり進み、後半は少し急ぎ過ぎている感がある。

ここでふと思ったのです。「玉壺の回想がアニオリで観たかった」。「どうして玉壺の回想はないのか」。もちろん玉壺にも、鬼になる前の人間時代の過去があります。それは公式ファンブックにて明らかになっています。原作連載時は構想がなかったのかもしれない。しかし、アニメでは少しでいいから観たかった。そういうファンの声も聞こえてくる。

今回は、玉壺という鬼についてや過去を振り返っていきながら、どうして玉壺の回想が描かれなかったのかについて考察します。みなさんの意見もコメント欄にてお待ちしております。いつも有益な情報ありがとうございます。チャンネル登録といいね・共有ボタンもプッシュ。では参ろう。

上弦の伍・玉壺

刀鍛冶の里編がアニメで放送され、9話にて玉壺は死亡。時透無一郎の霞の呼吸・朧に手も足も出ないままに頸を斬られました。とはいえ玉壺も上弦の鬼。めちゃくちゃ強い鬼でした。

どこにでも出現させられる壺。そして壺から壺へ異空間を移動できる能力。また、能力によって絵柄の違う壺により、様々な血鬼術を発動させることができる。

巨大な金魚の口から、大量の毒針を放出し麻痺させる「千本針・魚殺」。弾力のある水の中に閉じ込め、鬼殺隊士の呼吸を封じ窒息死させてしまう「水獄鉢」。弾力があり、簡単には斬れない巨大な蛸の足で攻撃する「蛸壺地獄」。体内に毒を仕込んだ、一万匹の魚による攻撃「一万滑空粘魚」。

そして、脱皮をすることで玉壺は真の姿になる。生物・無生物を問わずに、拳で触れたもの全てを魚に変えてしまう「神の手」を持つ。また、壺の中で磨き上げたという体にある鱗は、金剛石・ダイヤモンド以上の硬度を持っている。

そして、玉壺の最終奥義が「陣殺魚鱗」。理に反した不規則な動きで相手を攪乱し、拳で触れて魚に変えてしまう最恐の技。玉壺いわく、真の姿になって生きていられた相手はいなかったという。

しかし、これだけ凶悪な能力を持っていながらも、最期はたった一人の人間にあっけなく敗れてしまう。玉壺は戦略面で足りない部分があったと思う。真の姿になってからは壺を一切使用していません。壺での攻撃も併せて行っていれば、もしかしたらもしかしたかも。真の姿になると壺を使えない理由でもあったのでしょうか。

玉壺の性格

自称「至高の芸術家」。通常とはかけ離れた独特の感性を持ち、自分に絶対的な自身を持っている。壺だけではなく、自身の体、他者の体を使ってまで芸術を追求しようとする。

玉壺は悪人というよりは、いかれ切ったサイコパスな鬼。人を殺して作品にするなんて、正常者ができることではありません。玉壺は鬼の中でも類を見ない異常者です。

性格について「超ポジティブ」という一面も持つ。考え方としては「最終的に全てポジティブに捉える」。刀鍛冶の肉が不味かったとしても「だがそれもまたいい」。自身の作品を理解されなくても「それもまた良し」。

一見ポジティブ人間に見えますが、玉壺の場合は少し違うのかもしれない。鬼舞辻無惨に頸を斬られた時は「いい、とてもいい」とドMのような発言。つまり、ネガティブなことが起きた際「だがそれもまたいい」と喜んでいる可能性もある。

また、もう一つ玉壺の性格として印象的だったのは「自分より優れた者を許せない精神」。鋼鐵塚蛍の並々ならぬ集中力を目の当たりにした際は「私とてこれ程集中したことは無い。芸術家として負けている気がする」と発言。

鋼鐵塚を殺すわけでもなく、その集中力を削ぐことで自身のプライドを守ろうとした。しかし、鋼鐵塚はどれだけ攻撃されようと、片目を潰されようと刀を研ぐことを止めなかった。最終的に玉壺は鋼鐵塚に対し「真面ではない」と言い放つ。いや、玉壺にだけは言われたくない。

こういった、いかにも人間くさい一面を持つ玉壺。実はこれが玉壺の敗因にも繋がっている。鬼舞辻無惨は言っていました。「人間の部分を多く残していた者から負けていく」。まさに玉壺もそれ。

プライドという人間臭さによって、鋼鐵塚に意識を持って行かれた。それが原因で、水獄鉢を抜け出した無一郎に気づけなかった。これは大きな失態。無一郎が痣を発現する猶予を与えてしまった。

また、芸術を優先するという人間味も玉壺の敗因の一つ。無一郎と対峙した際、最初から全力で神の手を使っていれば倒せたはず。しかし、玉壺はそれをしなかった。理由は、生きたまま作品にしようとしたから。

最初に無一郎に使った千本針・魚殺は、致死性のない毒針が使用されている。毒でジワジワ弱らせて、抵抗できなくなったところで作品にしようと考えていたのでしょう。また、水獄鉢は窒息死する際の、藻掻き苦しむ顔を作品にしようとするための技。全て玉壺の作品のための技なのです。

この欲求のせいで、最終的には無一郎を覚醒させてしまい、頸を斬られることになった。最初から全力で戦える性格だったなら、もっと上位にいたかもしれない。勝負よりも芸術を優先する。ぱっと見は人間らしくないと思いきや、実は人間の部分を多く残している玉壺。鬼としては惜しい存在です。だが、それもまた良し。

ちなみに、玉壺の芸術の腕は実は高い。普通の作品である壺は、童磨や無惨が綺麗と称賛している。また、実際に玉壺の壺は人間に高く売れるそう。そのことから玉壺は無惨から「わりとお気に入り」という評価を受けている。玉壺が刀鍛冶の里を見つけられたのは、壺を売ったお金で情報収集したという説もある。

玉壺の過去

玉壺の人間時代の名前は益魚儀。漁村に住んでいた益魚儀は、幼い頃から魚を捕まえて遊んでいた。それが後の血鬼術のモチーフとなる。

魚で遊んでいたというのは、言い方としてふさわしくない。いたずらに殺し、違う魚同士を縫い合わせていた。そして、壺に鱗や骨を溜めたものを芸術と呼ぶ。そのような奇行から、周囲からは忌み嫌われ孤立していたという。

しかし、一部の村の者は、益魚儀を陰から見守っていた。益魚儀は早くに親を亡くし、一人で暮らしていたからです。両親は漁に出たきり戻って来ず、損傷の酷い水死体で見つかった。そのことで気が触れたのだろうと、周りの者は心配していたのです。

しかしどうやら益魚儀は、生まれながらのサイコパスだった可能性が高い。なぜなら、親の水死体を見て美しいと感動しているから。親の死体を見て気が触れたのではなく、元々気が触れていた可能性が高いのです。

そして事件を起こす。益魚儀は自分をからかいに来た子供を殺害。死体を壺に詰めてしまいます。この性格は作中でも見られました。無一郎との悪口合戦。あのような感じでからかわれたのでしょう。そうして激昂し殺害した。

子供を殺害された親は益魚儀に報復。二又槍でめった刺しにしてしまう。益魚儀は死にかけの状態で半日間生きた。そして、たまたま通りかかった鬼舞辻無惨により鬼にされる。

鬼になってからの玉壺は、子供の肉を喰うのを好んだ。これも過去の影響かもしれない。そして、自分の体を改造するのが好きになった。鬼の不死性があることで、どんな体にも改造できる。そうしてあのヘンテコな顔が生まれた。

また、どこかで芸術家として目覚めた玉壺は、人の体を使って作品を作るようにもなっていく。人間時代から受け継がれた、命を何とも思わない性格。

玉壺は無惨以外の生き物全てを見下しており、腹の中でせせら嗤い馬鹿にしている。無惨は玉壺の性格を理解した上で、作品を褒めることにより上手く転がしていたと思われる。

玉壺の回想がない理由

さて本題。玉壺の回想がない理由。これはシンプルに「玉壺が過去を思い出さなかったから」。回想とは「過ぎ去ったことを あれこれ思い出すこと」。玉壺は思い出さなかっただけです。「いや待てよ。それで終わりかよ」と思ったそこのあなた。もう少しお付き合いください。

これには玉壺の「過去のことを気にしない性格」も関係している。思い出してみてください。玉壺の性格。何かネガティブなことがあっても「それもまた良し」とすぐに切り替える性格。過ぎたことはすぐに忘れていく。玉壺は過去のこと、もはや人間時代のことなどどうでもいいのです。

そして「時透無一郎に一瞬で頸を斬られた」というのも理由の一つにある。玉壺の思考は、完全に朧によって錯乱状態にあった。霞に巻かれているような感覚の中、斬られたことにも気づかない程のスピードで頸を斬られる。とても回想を思い出す暇はない。死に直面した瞬間に流れる走馬灯。それすらも許されない程のスピードだった。

でも、斬られた後に思い出す暇があったのではないか。そういった意見もあるでしょう。しかし玉壺は、斬られた事実を認められず 喚くばかりでした。そして一瞬で無一郎に粉々にされた。

結論。玉壺は過去に興味がなかったし、過去を思い出す暇もなかった。現実的な理由で言うならこれです。玉壺にとって大事なのは、過去とかではなく 自身の作り出す作品・芸術・プライドなのです。

そして最後にもう一つ。玉壺の過去は「回想にしても後味が悪すぎる」。後味が悪いのに得られるものは少ない。こういった側面もあります。

玉壺の過去をおさらい。生まれながらの異常者で、からかいに来た子供を殺して壺に詰める事件を起こす。そして、その親から報復を受け瀕死状態に。そこをたまたま通りかかった無惨の手により鬼になった。

このような過去が流れたところで「やっぱり玉壺は最初から異常者だったんだ」で終わり。次に繋がるものもなければ感情移入もできない。せっかく無一郎がカッコよく頸を斬ったのに、魅力のない回想が流れたら全てが台無し。

「他の上弦はなぜ回想があったのか」。ここも参考になります。猗窩座や堕姫と妓夫太郎などの「鬼の悲しい人間時代」といった過去。鬼は悪でありながら、どこか許してしまうような感覚になる。こういった過去は、鬼滅の刃という作品をより良いものにしています。むしろこの手の過去の回想が、鬼滅の刃の見どころでもある。

黒死牟に関しては、縁壱との関係性など 今後に繋がる伏線が多くあったため、なくてはならない回想だった。半天狗に関しては、炭治郎とお奉行様を繋げるための過去の回想。

童磨に関しては「感情が無いやつが しのぶに恋をした」のための回想。唯一童磨だけは「どうでもいい回想」と言われがちだけど、カナエ・しのぶ・カナヲとの関係性もあり、回想は必要だったと言える。

玉壺に関しては、無一郎との因縁は何もないし、過去が分かっても繋がるところが何もない。これが大元の理由なのでしょう。また、同じ上弦として鳴女も回想がなかった。無惨によって一瞬にして殺されたこと、そして特に先に繋がる部分がなかったこと。玉壺と同じ理由が挙げられる。

まとめ的なもの

いかがでしたでしょうか。玉壺の回想がなかった理由。あそこで玉壺の回想が流れても、感情移入はできないし、何か考えさせられる部分も少ない。せっかく無一郎がカッコよく頸を斬ったのに、時間をかけて全てを台無しにするはずもない。

また、作品のバランスも考えられていたのかもしれない。刀鍛冶の里編は、鬼殺隊士の回想が三つも入っています。そこに鬼側の回想もあるとなると、回想だらけの章になってしまう。なので玉壺はカット、半天狗は最低限になったのかも。

玉壺は強いはずなのに、相手が悪すぎて敗退。無一郎が強すぎるせいで玉壺が弱く見えるほど。そして回想もないという上弦イチの不遇な鬼。

玉壺は作中で会った鬼殺隊士が時透無一郎だけで、その無一郎によって手も足も出ないままにやられた。これは一つのメッセージだ。勝手に解釈する。

「こういった性格だと誰も周りにいなくなるし、不遇な人生を送ることになるよ」。玉壺のように、人を見下して頑張ってる人を邪魔するような人間。最悪です。よくいるんです。聞いてもいないことをベラベラ喋り、人を叩いて蹴落とそうとする人間。絶対にそういった人間になってはいけない。

ということで、今回の記事は以上です。いいねとチャンネル登録・共有ボタンもプッシュ。玉壺が好きな人は、玉壺の良さをコメント欄に残していってください。それではまた。

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