半天狗が上弦の肆でいる理由が深い。上弦になった順番。入れ替わりの血戦。半天狗の立ち位置とは。
テレビアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編3話で登場した、半天狗・喜怒哀楽。「こいつはヤバい」と世間では話題になっています。何がヤバいって、数の暴力がヤバい。
半天狗は頸を斬られることで、若い頃の姿に分裂していきます。その数最大で四人。その分裂体ひとり一人が強力な能力を持っており、刀鍛冶の里編では炭治郎たち鬼殺隊を苦しめました。
今回は「半天狗が上弦の肆でいる理由」ということで考察していきたいと思います。半天狗にはどのような歴史があり、どうして今上弦の肆の座にすわっているのか。そこを深掘り考察していきましょう。
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半天狗の過去と鬼化の経緯
半天狗の過去については、作中ではあまり言及がありません。死に際の走馬灯で、見開き2ページだけ過去の回想がありました。後にファンブック等で過去が明らかになるのですが、これが実に面白い。
半天狗の人間時代の名前は明らかになっていません。その場その場で名前を変えていたことから、本当の名前と生い立ちは忘れてしまったそう。
幼い頃から嘘つきで、自分の都合のいいように事実や解釈を捻じ曲げる、歪んな性格の持ち主。半天狗は「常に自分は悪くない、自分は被害者だ」と考えます。最終的には「自分は悪くない、この手が悪いのだ」と言い出す始末。救いようのない人物なのは間違いないですが、ここまでくると逆に面白い。
半天狗は何度か妻子を持ったことがあります。しかし、得意の虚言癖や不誠実さから責められ、逆上して妻子を殺してしまうということを繰り返していました。
「何度も妻子を持ったことがある」というのは、今の姿からは想像ができません。しかし、半天狗の若い頃はとてもイケメン。分裂体の姿が半天狗の若い頃の姿です。イケメンから今の姿になったのは、嘘をつきすぎた末路なのかもしれませんね。
半天狗が老齢に差し掛かったある日のこと。強面の相手とぶつかった際、盲人のふりをしてやり過ごしたことがあります。それに味をしめた半天狗は、常に盲人を演じるようになり、泥棒や殺人などをやり始めるようになります。この名残りが半天狗本体の、裏返っている目です。
そうして本編の、見開き2ページの走馬灯の部分。積み重ねてきた悪事が露見することにより、お奉行様から打ち首の刑を言い渡されます。しかし、次の日に処刑されるはずだった半天狗は、鬼舞辻無惨により助けられ鬼化。
鬼化した半天狗は、お奉行様を殺害。死の間際にお奉行様が「何と言い逃れようと事実は変わらぬ」と言っていることから、鬼になってもまだ言い逃れをしようとしていた様子がうかがえます。
半天狗が斬首を分裂のトリガーとしているのには、お奉行様の言い渡した、打ち首の刑が関係しているのかもしれません。打ち首の刑が実行されることにより、攻撃に転ずる。それまでは自分は何も悪くないと言い張る。人間時代の記憶を忘れている半天狗ですが、そういう余計な部分は鬼になっても残っているようです。
いつ鬼になったのか?
半天狗が鬼になったのは、江戸時代中期~後期だといわれています。根拠のひとつはお奉行様。彼は江戸時代の町奉行だと思われます。このお奉行様も実は人気キャラクター。またどこかでご紹介します。
そしてもう一つの根拠は「目の見えないあん摩」というお奉行様のセリフです。江戸時代における、視覚障がい者のあん摩の始まりは、1682年。広く普及するのが江戸時代中期以降です。そのため、半天狗が鬼になったのは江戸時代中期以降、後期かもしれないということになります。
上弦になった順番
今回の本題は「半天狗が上弦の肆にいる理由」です。どのような経緯で上弦の肆の座についたのかを紐解いていきたいと思います。そのために、上弦全員の歴史を知る必要があります。
上弦の中で最初に鬼になったのは黒死牟です。戦国時代に鬼舞辻無惨と出会い鬼になりました。黒死牟の次は明確ではありませんが、猗窩座が鬼になった江戸時代に「十二鬼月」が誕生しています。黒死牟は上弦の壱から一度も動いたことがないため、最初から上弦の壱のままです。
黒死牟以降の鬼になった順番は明確ではありません。確定している情報は、猗窩座の後に童磨が鬼になっているということ、童磨の後に堕姫と妓夫太郎が鬼になっているということです。また、上弦の顔ぶれが113年変わっていないことから、江戸時代の後期には今の面子が確定したということになります。
確定情報だけでまとめると、黒死牟は最初から上弦の壱にすわり、猗窩座が弐~伍にいる間に、童磨が上弦の陸になる。そして童磨は上弦の弐と入れ替わりの血戦をし、上弦の弐にすわる。猗窩座が上弦の弐だったのかは不明。また、半天狗や玉壺がどのタイミングで上弦になったのかも不明。
そして童磨が上弦の陸になった後、堕姫と妓夫太郎が上弦の陸へ。堕姫と妓夫太郎が上弦の陸に上がったタイミングは、童磨が入れ替わりの血戦で相手を吸収した時なのか、上弦の陸が鬼狩りにやられた時なのかは不明。入れ替わりの血戦も絡んでくるとすごくややこしい。
入れ替わりの血戦
入れ替わりの血戦とは、鬼舞辻無惨の許可制のもと、下位の鬼が上位の鬼に血戦を申し込めるというシステムです。「下位の鬼が上位の鬼に」とは書かれていますが、一つ上とはどこにも書かれていません。
例えば「参は弐にしか血戦を申し込めない」などの条件があるかどうかは明らかになっていません。血戦については全て無惨の許可制になりますので、ここはハッキリとした決まりではなく、無惨の采配次第になるのかもしれません。
つまり、一つ上に血戦を申し込み、一段ずつ上がっていくシステムかもしれないし、陸から弐に一気に飛び越えたりできる、飛び級システムがあるのかもしれない。
公式ファンブック弐では、過去に黒死牟と猗窩座が血戦を行っていたことが明らかになりました。勝敗は黒死牟の勝利。黒死牟は今まで三度血戦を申し込まれていますが、全て返り討ちにしています。ちなみに相手は猗窩座だけではないようです。
そして勝敗が決まった場合、基本的には相手を吸収するのが通例です。つまり、黒死牟は猗窩座を吸収するはずだったのです。しかし、ここは黒死牟が猗窩座を気に入っていたという理由で、猗窩座は吸収されずに生かされています。
また、そのとき猗窩座が上弦の弐だったのかどうかは不明です。上弦の弐で壱に喧嘩を売った可能性もありますが、確定ではありません。
猗窩座と童磨の関係性についても、猗窩座が当時上弦の弐で、童磨に負けて上弦の参に下がったのかどうかは不明です。もしもそうだったとしたら、童磨も猗窩座を吸収しなかったという事になります。他に上弦の弐がいて、猗窩座は元から上弦の参だった可能性もあります。その場合、童磨は参以下から飛び級。いや、猗窩座が参以下だった可能性も考えるとだね。頭がこんがらがってきた。
堕姫と妓夫太郎に関しても、入れ替わりの血戦は関連しています。童磨が上弦の陸から弐に飛び級したと仮定すると、童磨は上弦の弐を吸収し、上弦の陸の座が空く。そこに堕姫と妓夫太郎が繰り上がったという可能性もあります。あ~ややこしい。
半天狗が上弦の肆にいる理由
本題です。半天狗が上弦の肆にいる理由。理由の一つ目は「半天狗は奇数を嫌う」ということ。アニメ刀鍛冶の里編1話で、半天狗はこう言っていました。「呼ばれたのは113年振り。割り切れぬ数字、不吉な半、奇数、怖ろしい、怖ろしい」。
これだけ奇数を恐れているということは、上弦の奇数である壱・参・伍には死んでもつきたくないと思っているはず。奇数を目に刻むのは死んでも嫌なはず。なので半天狗は、上弦の弐・肆・陸を狙っていたはずです。
しかし、狙って取れるほど上弦の世界は甘くないはず。通常は入れ替わりの血戦で入れ替わっていきます。その道中、奇数につかざるを得ない時があったかもしれない。ここで私は考えました。半天狗は例外だったのかも。それには理由があります。
半天狗は通常「怯の鬼」という状態でいます。いつも何かに怯えている本体の姿。人間相手の場合は、頸を斬られるまで自分から攻撃することはありませんでした。つまり、こういった性格の特性上、入れ替わりの血戦を自ら申し込むようなことはないと思うのです。
仮に他から血戦を申し込まれたとしましょう。その場合は無惨が許可しなかった可能性があります。怯の鬼は、頸を斬られることで分裂し強くなりますから、鬼相手ではいつまで経っても分裂できない可能性があります。そんな泥仕合をするぐらいだったら、無惨が独断で決めた方が早いはず。
結論「半天狗の上弦の数字は無惨が独断で決めていた」。私の最終結論はこうです。そして無惨は、半天狗が奇数を恐れていることを考慮していた可能性もある。半天狗を上弦の伍などの奇数にすえた場合、怯えすぎて本来の力を出せない可能性も出てくるからです。
上弦の壱は黒死牟で確定しているとして、半天狗は弐ほどの実力はない。陸か肆が妥当。今の半天狗の実力なら上弦の肆が妥当か。そんな感じで無惨は半天狗の数字を決めたのではないでしょうか。
なので、半天狗の立ち位置は無惨の判断で決まる。半天狗は入れ替わりの血戦をしない。こうなります。
まとめ的なもの
今回半天狗について考えていく中で、鬼になった順番や、上弦が上弦になった順番などについても触れていきました。このあたりは謎が多い部分です。公式が時系列を出してくれると嬉しいところ。
入れ替わりの血戦についてもルールについてあやふやな部分があります。まだまだこれから鬼の外伝や小説なども出版される可能性があるので、そこに期待しましょう。
とにかく強すぎる半天狗。実力的には上弦の参も狙えないこともなさそう。ただ、性格の問題があるので難しいとは思います。人間時代から糞野郎で、鬼になってもそれは変わっていない。若い頃はイケメンだったのにも関わらず、嘘をつきすぎたばかりにあのような姿になってしまった。
因果応報。半天狗のコブには今までの業が積もっているわけです。「嘘つきは泥棒の始まり」という言葉がピッタリの半天狗。みなさんはああならないように、嘘をつくのはやめましょう。ということで今回の記事は以上です。それではまた。