鬼滅の刃の炎上騒ぎ
みなさんこんばんは。今回は少しブラックな内容になります。いつもの感じがいいという方は、視聴をお控えください。
ということで今回のお題は「鬼滅の刃遊郭編・炎上騒ぎ」についてです。まず結論から申し上げますと「炎上はしていない」ということらしいです。
正確には、炎上するほどの勢力もいなければ、これといって非の打ちどころもない、と言うべきでしょうか。
どこやらのメディアが、ツイートの感情分析を行った結果、鬼滅の刃遊郭編について、ポジティブ層が25%、中立が70%、ネガティブ層は4%弱だったそうです。
この数字が正確かと言われると、それは分かりません。しかしまぁネガティブ層については、大体こんな感じなのではないでしょうか。
予想するに、ファンのうちほとんどの人はポジティブであり、中立というのは、そもそも興味がない人か、鬼滅自体を知らずに論争に参加している人。そんなところでしょう。
なのでこの炎上騒ぎは、メディアが数字を取るために大きく騒いだ結果であり、ほとんどの人は「炎上するほどのことか?」と静観していたことでしょう。
特にこのチャンネルをいつも見てくれている方は、良識のあるいい方ばかりです。炎上側についている人は一人もいないでしょう。僕も、なんか騒いでるなと思っている間に、いつの間にか沈静化していました。
炎上側の言い分としては「遊郭は子供に悪影響」「遊郭を子供にどう説明すればいいのか」など、少し聞いただけでも笑いが出てくるような言い分です。
こんな事を本気で言っている人は、極わずかだと思います。しかし、遊郭という言葉が子供に悪影響というこの考え方。ここには少し、議論として面白い部分があるので取り上げました。
まず、遊郭というものがどんなところだったのか。そこから触れていきましょう。
遊郭とは
遊郭とは、安土桃山時代からある、遊女屋が集まる地域のことです。遊郭が形成される前の遊女の歴史は古く、古代より神社の巫女による、官人の接待などはあったそうです。
その後は神社仏閣に参拝する観光客向けに、宿場町が形成され、そこに遊女が置かれていったのではないかと言われています。平安時代には大阪湾などの港や宿場で、遊女が多く集まる地域がありました。
この時の遊女は誰に管理されるわけでもなく、自由業でした。まだ遊郭という決まった場所はなかったので、好きなところで客を取っていたそうです。
しかし、次第に遊女を取り締まる動きが起こり、室町時代には足利将軍が、京都の傾城屋から税金を徴収するようになったそうです。
そして1528年、遊女は幕府が定めた制度のもとに営業するようになりました。この時点で、まだ遊郭という場所はできていません。
遊郭ができたのは、1589年頃の事です。遊郭の始まりは、京都の柳原遊郭ではないかと言われています。当時は大阪の道頓堀付近にも、遊郭が作られています。
そしていよいよ、1612年、江戸に遊郭が誕生します。最初に江戸にできた遊郭を元吉原と言い、日本橋人形町付近にありました。
しかし、1657年の江戸の大火事、明暦の大火で元吉原は焼失。その後浅草に場所を移し、それを新吉原と呼ぶようになります。
堕姫や妓夫太郎が生まれたのは、羅生門河岸。羅生門河岸は浅草なので、堕姫と妓夫太郎は新吉原で生まれているということになります。つまり堕姫と妓夫太郎は、1657年以降の生まれということです。
そして、ここからも色んな歴史があり、近代でも遊郭は形を変えて、営業を続けているという実態があります。
では、遊郭とは何をする場所なのか。遊郭のサジェストの中に「遊郭 何をするところ」なんてワードもあるように、気になっている方も多いようです。
遊郭とは、政府が管理していた、主に性風俗のお店が立ち並ぶ地域のことです。赤い格子窓が印象的ですよね。
遊郭にも階級のようなものがあり、最下層は激安のソ〇プ、最高峰は料亭やクラブのような接待、そしてそこに寄席・ソ〇プをプラスしたようなところもあったようです。ソ〇プに関しては、調べればすぐに出てきます。
そして、働いている女性は主に家の借金などが理由で、遊郭という場所に連れてこられ、そこに閉じ込められていたという実態もあります。
鬼滅の刃の花魁は華やかに見えますが、そこには借金という裏があり、花魁になっても莫大な経費が掛かるため、さらに借金を重ねる人もいたようです。
そして、当時は病気に対する対策も十分ではなかったため、病気によって体を壊す方もいました。やはり身体一つで戦う商売のため、年齢によって徐々に稼げなくなっていく商売です。そこにも苦労はあったでしょう。
とまぁ、すごくいい世界かと言われると、そうではないでしょう。しかしこれは、過去のお話です。今は昔の遊郭はありませんし、残っている所も現在は、そこまでひどい状況ではありません。というわけで、炎上の話に戻ります。
遊郭は子供に悪影響?
遊郭は子供に悪影響なのか?ここについても考えてみましょう。どうでしょうか?みなさんの意見も、ぜひコメント欄でお聞かせください。
僕の感覚では「知っててもいい」と感じました。「知らないより知ってた方が良くない?」と考えてしまいます。
それに、ネットが普及した現代に、遊郭が何か知らないようにするなんて、どうやってもできないですよね。
ググればすぐに出てくるし、子供の間でも遊郭という言葉は、すでに認知をしているでしょう。漫画から追いかけている子供たちは、もうとっくに遊郭がどんな場所か知っているはず。
そして、そうやって知るために子供がググったり、人に聞いたりするということは、決して悪いことではないはず。
中にはこんな発言もありました。
「遊郭って何と聞かれて、親として何て答えていいか分からない」
いやもう、いい大人がそんなことも答えられないなんて、逆にあなたが子供ですかと。普通に正直に嘘をつかずに、答えてあげればいいでしょう。それか、Google先生に任せればいいでしょう。どうせ隠しても知ることになります。
そこで嘘をついたり隠し事をすれば、親としての信用性を損ない、子供も親に尋ねるということができなくなっていきます。
こういう時僕は、全部ネタにしてしまえばいいとすら思います。ぶっちゃけ話でおもしろおかしく、話せばいいのではないでしょうか。その方が楽しいし。
これは、遊郭だけの問題に限らず、いろんな事に言えることです。例えばお金の話でもそうです。子供にお金の話は早いとか、投資についての勉強もさせないとか、僕はナンセンスだと感じます。
子供の時、吸収力が高い時にこそ、生きるために必要なお金の知識を学習させておく。それが将来、必ず役に立つことになります。
なので、子供に対してこれを教えてはいけないとか、子供に悪影響とか、あまり考えない方がいいと思います。
さすがに犯罪の方法とか、悪知恵はつけなくてもいいと思います。しかし、お金の話や遊郭の話についても、知ってて悪い影響は全くありません。
こういった、借金によって体を張らされてきた過去があるということを知り、そういう事が今後あってはいけないと、将来考えていく大人になるかもしれない。遊郭が女性差別だと言うなら、なおさら知っておくべき事です。
遊郭という場所から性へ関心を持ち、病気などについても知っていく。そういう事もあるでしょう。これらを知るのに、年齢は関係ありません。知らない事が原因で、仲間外れになったり、いじめに繋がるような事もあるかもしれない。
子供はバカではありません。大人が無駄なところに手を入れすぎて、逆に子供の教育に悪影響なんてこともあるでしょう。それが、今回の鬼滅の刃・遊郭編炎上騒ぎから見られました。
まとめ的なもの
しかしながら、親が子供を心配する気持ちも分かります。そこに悪意があるわけではないはず。ただただ心配で、少しでも危険と思えば排除していきたい。そういった気持ちも分かります。
なので、結局僕は自分の意見は言いますが、こういった人たちの意見を曲げようとは思わない。むしろ「どうでもいい!」。僕は僕の世界を生きているので、人の意見は結局どうでもいい。
今日は、少しブラックな内容だったかもしれません。それに、鬼滅の刃の炎上に関しては、ごく僅かなネガティブ層に、過剰に反応してしまった人たちの影響も大きいでしょう。
結果、大したことはないです。鬼滅の刃はこのまま、最後まで突っ走ってほしい。ほとんどのファンの方が、そう思っているでしょう。みなさんそう思いますよね?ということで、今回の動画は以上です!また次回の動画で会いましょう。
余談
ここまで見てくれている方、いつもありがとうございます。どうして僕が子供の教育について、今回少し熱くなったのか。それはですね。自身がまともな教育を受けられず、すごく苦労をしたからです。
今思えばいろんな経験ができて、逆に良かったと思います。しかし、普通の人なら途中で挫折してしまっていたかもしれない。
僕は小学校2年生の頃に親が離婚、父親と二人で暮らすことになりました。僕は当時「鍵っ子」と呼ばれ、父親が帰る時間まで、小学校の放課後児童クラブという場所で過ごしていました。
当時は、寂しいとかは感じていませんでした。僕は言わば、童磨のような子供だったのかもしれません。あまり感情というものを表に出す子供ではなく、物事に興味がありませんでした。
そして、父親は再婚することになります。最初は良かった。やはり子供にとって、母親というのは大事な存在です。甘えたい時があった。
しかし、段々と義母との仲も悪くなり、父からの体罰もエスカレートしていきます。詳細はここでは話しませんが、一度は父に殺されかけました。
そうして、父の仕事の都合で小学校を3回転校、中学でも3回転校を繰り返し、僕は父の体罰を理由にグレていく事になります。
そこから家庭は崩壊。僕は児童相談所から児童養施設へと行き、1年半そこで過ごすことになります。それが中学1年生の頃の話。施設では先生の体罰は当たり前の時代、そしていじめも受けたことがあります。いじめの加害者もなったことがあります。
そして、僕が施設にいる間に、父親は自殺をしてしまいます。今回、かなり話を端折っているので、少しスピード感がありすぎるかもしれませんw詳細はまたどこかで。
父の自殺もあり、僕は義母に引き取られ、義母と暮らすことになりました。元々僕は義母が嫌いだったので、二人の生活はうまくいきませんでした。義母は父の遺族年金を持って逃亡。僕は中学3年生の時、一人になりました。そこからは大変でした。
勉強もろくにしていない、お金の知識もない。ごはんの作り方すら分からない。ここからの話は割愛しますが、相当タフに生き抜いてきました。だからこそ、今があるのですが。猗窩座みたいにもなりましたね…w
ということで、過去がすごいからといって、みんなより苦しんだかというと、そうでもなかったです。今思うと大変でしたが、当時は楽しい思い出ばかりです。
やっぱり親がいない人間には、同じように親がいない人間が集まってくるのですが、当時の仲間は今もすごく頼れるいい友達です。
今人生辛いと考える人は、僕のような人間もいるのだと思えば、少しは楽になるかもしれない。いや、そんな単純でもないですよね。
とにかく、今が過去になれば、鬼滅の刃のキャラクターのように、すごくいい味を出してくれることは間違いなし。前向きに生きましょう。それではくだらない余談はこのあたりで。さようなら。