テレビアニメ「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編9話が放送され「もう間もなくクライマックス突入」といったところまで来ました。刀鍛冶の里を襲撃した上弦二体のうち、ようやく一体・玉壺が消滅。残すは半天狗のみとなりました。
アニメ刀鍛冶の里編は11話完結が濃厚となっており、残すは後2話。6月11日に10話、6月18日に11話・最終回で完結です。
アニメ9話で時透無一郎に敗れたのは、最強の便所虫こと上弦の伍・玉壺です。刀鍛冶の里編のみに登場した玉壺。真の姿を披露した三人目・時透無一郎の朧によって頸を斬られます。もしも時透無一郎が相手じゃなかったら、玉壺は死んでいなかったかもしれない。
例えば恋柱・甘露寺蜜璃や、炭治郎達と接触していたら。拳で触れれば魚にできてしまう神の手により、一撃ぐらいは入れれていたはず。一撃必殺である神の手は、字のごとく一撃だけで勝負を決する。実は物凄い凶悪な技。しかし、相手が無一郎だったばっかりに、その強さはまさに霞んでしまった。
そして、過去を思い出す暇も与えられず、上弦イチの不遇な鬼認定を受ける。人気も無ければ作者からも嫌われている玉壺。とはいえ、凶悪ながらもコミカルな性格も併せ持つ玉壺には、コアなファンがいるもの。「小さいお手手が可愛い」という意見があったりする。
このお手手ですが、たくさんついている理由を考えてみた。理由は一万滑空粘魚にあり。玉壺はどこからでも壺を出現させることが可能。もちろんこの手からも。血鬼術・一万滑空粘魚を放つ際は、10本の手を使い、それぞれの手に壺を持ち魚を放出させた。一つの壺につき千の魚が入れられている模様。
一万滑空粘魚専用とは言い切れないけれど、こういった時のための手であることは間違いない。壺を二つ持っているシーンもあったり、組み合わせにより様々な血鬼術のバリエーションがあると思われる。刀鍛冶の里編で出し切れなかった技もありそう。
基本的には、顔についてる手は攻撃には用いない様子。この手は表現用みたいで、顔の手に着目してみると実に面白い。こっそり指を指していたり、決めポーズを取っていたり。怒った時は握りこぶしを作っている。
まあ、全ては血鬼術というより前に、玉壺の美的センスから作られたお手手達だとは思います。こうやって手について見ていたら、なんだか玉壺がすごく愛おしく思えてきた。私も実は玉壺クラスのセンスがあるのかもしれない。壺でも作ってみるか。
ということで、今回の本題に入っていきます。コメント欄で物議を醸していた「どうして玉壺は、日輪刀だけは魚に変えられなかったのか」という問題。確かに気になる。玉壺は自分で「拳で触れたものは、全て愛くるしい鮮魚となる」と豪語していた。
そしてアニメでは、陣殺魚鱗で何度か攻撃を仕掛け、確実に日輪刀にヒットしている。だけど日輪刀は魚にならなかった。これは考察のしがいがある。原作では、陣殺魚鱗のシーンで日輪刀に触れているようには見えない。
これはどういうことなのか。アニメ制作者側の痛恨のミスなのか。考察していきましょう。いいねとチャンネル登録・共有ボタンもプッシュ。では参ろう。
日輪刀とは
この考察をする上で、日輪刀について理解を深めなければならない。日輪刀とは、ただの鉄で造られた刀ではなく、陽光を吸収した鉄である「猩々緋砂鉄・猩々緋鉱石」から造られる特殊な日本刀。
日輪刀は、鬼舞辻無惨が生み出した鬼を倒せる唯一の武器。日輪刀で鬼の頸を斬ることで、ほとんどの鬼は消滅していく。
他にも特殊な効果として「一定以上の実力を持つ者が持つと、一度限り色が変化する」というものがある。日輪刀の別名「色変わりの刀」。持つ者の適性を見抜き、色を変化させる。
適正呼吸の色以外の刀を使ってしまうと、何かしらのデメリットがある。刀を破損した冨岡義勇が、同じ水の呼吸の剣士の刀を探している場面があったためです。また、炭治郎は縁壱零式から出てきた漆黒の刀を使用することで、今まで以上の力を発揮できるようになっている。
おそらく色違いのデメリットは、刃こぼれなど刀の破損を早めたり、威力が落ちることだと思う。なお、刀は呼吸に応じて造られるのか、それとも色変わりの際に性質が確定するのかは不明。
時透無一郎と鉄井戸の関係性から、呼吸に合わせて造ることで、より良い刀が生まれるのだと予想。鉄穴森が読んだ鉄井戸の書きつけには、おそらくその事も書かれていたのでしょう。霞の呼吸に合わせた秘法が。
赫刀
日輪刀は、いくつかの方法で赫刀にすることができる。ある者は強烈な握力で、ある者は刀同士を打ち付けて刀を赤くした。刀身の熱を上げることで刀が赤くなる。
赫刀は、通常の日輪刀よりも鬼への攻撃力が上昇し、再生を阻害させる効果もアップする。また、炭治郎だけは独自の方法で、禰豆子の爆血で刀の熱を上げることにより「疑似赫刀」を再現した。
今回考えるべきは、そもそもなぜ、日輪刀は鬼へ有効なのかという点。そして、赫刀になると鬼へのダメージが上がるのは何故かという点。
これには「太陽」が大きく関連している。日輪刀は太陽光を吸収した素材から造られる。そして、赫刀は日輪刀でのみ発現が可能で、太陽光の熱を再現したものである。すべては鬼を消滅させる太陽のもとに成り立っています。
似たような現象で、禰豆子の爆血は鬼の再生を阻害し、血鬼術の影響を打ち消す。また、日輪刀の熱を上げ赫刀にすることができる。つまり、禰豆子の爆血は「太陽の炎」という認識が正解。
以上、日輪刀についてざっとまとめてみました。では本題の「玉壺が日輪刀を魚にできなかった理由」について触れていきましょう。
玉壺が日輪刀を
魚にできなかった理由
結論としては二つの理由が挙げられます。まず一つ目は「日輪刀だから魚に変化させることができなかった」。鬼の血鬼術を打ち消す爆血が根拠。太陽の炎で鬼の血鬼術を打ち消すのが爆血。同じ原理で、太陽光を吸収した日輪刀は、鬼の血鬼術を打ち消す効果もある。
これは、甘露寺蜜璃が憎珀天の血鬼術自体を斬ったことからも推測できる。憎珀天が放った狂鳴雷殺。超音波と雷撃による攻撃自体を、甘露寺蜜璃は日輪刀で斬ってのけた。これは恋の呼吸の特性かとも思いましたが「日輪刀だからこそ出来る芸当」というのもあるでしょう。
また、この時の時透無一郎の刀は、非常に赫刀に近い状態になっていた可能性がある。玉壺との戦いで痣を発現した無一郎。痣を発現している状態は、体温が39度以上になっている状態。この状態の熱を刀身に伝えることにより、日輪刀は赫刀になる。
無一郎は黒死牟との戦いにおいて、握力のみで赫刀を発現させた。もともと赫刀を発現させる素質はあったのです。なので刀鍛冶の里編でも、刀が赤くなる完璧な赫刀ではないにしても、ある程度刀の熱は上がっていたと思います。その効果もあり、玉壺の血鬼術・神の手の効果を防いだ。
そして二つ目の理由。これが一番の根拠です。「玉壺は陣殺魚鱗で神の手を発動していない」。これが真の正解です。神の手は、握った拳で触れることにより、相手を魚に変えることができる。玉壺の攻撃シーンを見てみると、拳で殴っていません。爪で引っ掻くように攻撃しています。
「玉壺バカじゃん」と思われたそこのあなた。そのお気持ち良く分かります。拳で触れていれば、もしかしたら日輪刀も魚にできていたかもしれない。玉壺はどうして神の手で攻撃しなかったのか。これにも明確な理由があります。
玉壺の発言がヒント。玉壺は陣殺魚鱗を繰り出しながら「お前はどのように料理してやろうか。醜い頭を捥ぎ取り、美しい魚の頭をつけてやろう」と発言しています。つまり、そもそも玉壺は、無一郎を魚に変えようと考えていなかったのです。
無一郎を使ってどんな作品を作ろうかと、心躍らせていたのです。この少し前の発言にもヒントはありました。玉壺が最初に神の手を使った後のセリフ「先程の攻撃も本気ではない」。最初から神の手を当てにいってなかったのです。無一郎が、ギリギリよけることのできるスピードで攻撃を仕掛けた。
すべては承認欲求と、自身の芸術欲のため。「真の姿や神の手を見せ、無一郎に自身の芸術を認めさせたい」。つまり最初の神の手は、能力を見せるだけの攻撃に過ぎなかった。なので、陣殺魚鱗の時は神の手を使用しなかった。
「無一郎を使って新たな芸術作品を作りたい」。そういった欲望もあった。これは玉壺の弱点でもある。鬼舞辻無惨の言っていた「人間の部分を多く残していた者から負けていく」という発言。まさに玉壺はそれ。
承認欲求・プライド。そのような人間の部分を多く残していた玉壺は、無一郎に負けることになった。作品のことなど考えず、最初から本気で戦っていれば。無一郎が痣を発現する前なら玉壺にも勝機はあったはず。水獄鉢に捕らえた状態で、神の手を発動していれば確殺できたはず。
もしも玉壺の神の手が、日輪刀を魚に変えることができていたなら。もはや誰も勝つことはできなかっただろう。そして、上弦の伍以上になれていたはず。なんとも残念な鬼です。
まとめ的なもの
いかがでしたでしょうか。調べれば調べるほどに、玉壺の魅力が分かってくる。小さなお手手は表現のための手。人間の部分を多く残しすぎたため、時透無一郎に敗れた。そして回想が全くなく、作者からも読者からも不人気。上弦イチの不遇と認めざるを得ない。
ということで、皆さんが玉壺をコメント欄で擁護してあげてください。かわいそすぎます。今回の動画は以上となります。いいねとチャンネル登録・共有ボタンもプッシュ。それではまた。