いよいよ発表された「刀鍛冶の里編の放送日」。刀鍛冶の里編の放送日は、2023年4月9日です。先日、放送日の決定とともに、刀鍛冶の里編の第2弾PVが公開されました。これがまた素晴らしい出来栄え。
たった55秒のPVであるにもかかわらず、全鬼滅ファンを熱狂させるような、そんな高クオリティのPVとなっています。今回は、刀鍛冶の里編・第2弾PVの冒頭にある「謎の剣士の言葉」について、ネタバレありで紐解いていきたいと思います。
謎の剣士の言葉
刀鍛冶の里編で炭吉に向けて語られた、謎の剣士こと継国縁壱の言葉。「道を極めた者が辿り着く場所は、いつも同じだ。時代が変わろうとも、そこに至るまでの道のりが違おうとも、必ず同じ場所に行きつく」。
このセリフ、実はだいぶ先に意味がわかる内容。多くの人は縁壱がここで発した言葉を、話が進むにつれて忘れていくことでしょう。しかし、ふとした時にあっと言わされます。縁壱の謎めいた発言は、原作漫画12巻・98話でありました。縁壱の言葉をまとめるとこうなります。
- 「道を極めた者が辿り着く場所は、いつも同じだ。時代が変わろうとも、そこに至るまでの道のりが違おうとも、必ず同じ場所に行きつく」
- 「お前には私が、何か特別な人間のように見えているようだが、そんなことはない。私は大切なものを何一つ守れず、人生において為すべきことを為せなかった者だ。何の価値もない男なのだ」
この一連の言葉には、とても深い意味が隠されています。刀鍛冶の里編の時点では、想像がつかないような深い意味です。一つずつ紐解いていきましょう。
「道を極めた者が辿り着く場所は、いつも同じだ。時代が変わろうとも、そこに至るまでの道のりが違おうとも、必ず同じ場所に行きつく」
まずはこの言葉。
「道を極めた者が辿り着く場所は、いつも同じだ。時代が変わろうとも、そこに至るまでの道のりが違おうとも、必ず同じ場所に行きつく」。
簡単なようで解釈が難しい言葉です。道を極めるというのが、何を指しているのか。辿り着く場所とは、どこを指しているのか。考察していきましょう。
重要なヒント
縁壱の謎の発言についての重要なヒントは、原作漫画20巻・175話に隠されています。兄の継国厳勝との、過去の回想シーン。自分たちの後継者がいないことを憂いた厳勝が、呼吸術の継承が絶望的だと縁壱に問うシーン。それに対し、縁壱はこう答えています。
- 「兄上、私たちはそれ程大そうなものではない。長い長い歴史のほんの一欠片。私たちの才覚を凌ぐ者が、今この瞬間にも産声を上げている」
- 「彼らがまた、同じ場所まで辿り着くだろう。何の心配もいらぬ。私たちは、いつでも安心して人生の幕を引けば良い。浮き立つような気持になりませぬか、兄上」
ここに「同じ場所」というワードが出てきています。ここが原作漫画98話・刀鍛冶の里編の冒頭で語られた、縁壱の発言の意味と繋がります。同じ場所とはつまり「継国縁壱」に他なりません。
継国縁壱の領域
継国縁壱は、歴代最強の剣士。縁壱の代表的なスキルとして、呼吸・透き通る世界・赫刀があります。縁壱の呼吸は、現代鬼殺隊の呼吸法とは、比にならないほどのもの。一日中走っても疲れないという、驚異的な体力を実現できる呼吸です。
また、継国縁壱は生まれながらにして、人の体を透かして見ることができていました。のちに透き通る世界と呼ばれるものです。赫刀においても黒死牟が語っていたように、他の赫刀とはワケが違います。縁壱の赫刀の斬撃は、すさまじい威力を誇ります。
縁壱は、自分の領域とまでは言わずとも、いずれは皆が同じように剣の道を極め、呼吸・透き通る世界・赫刀顕現の領域まで辿り着くと、そう信じていたのです。
少し引っかかるのは、縁壱が「私たちの才覚を凌ぐ者が、今この瞬間にも産声を上げている」と言っていること。そんなことはあり得ない、というより、あり得なかった。残念ながら縁壱を超える剣士は、鬼舞辻無惨を倒すまで現れることはありませんでした。
「お前には私が、何か特別な人間のように見えているようだが、そんなことはない。私は大切なものを何一つ守れず、人生において為すべきことを為せなかった者だ。何の価値もない男なのだ」
続いてはこの言葉。炭吉に対し、自分には価値がないと言い放った縁壱。縁壱ほどの男が、どうしてこんな事を言ったのか。武の才能に恵まれ、人格もある縁壱がなぜ。いや、才能に恵まれすぎたからこその、苦悩もあったのかもしれません。
縁壱をこう思わせてしまったのは、最愛の妻・うたを鬼に殺され、鬼舞辻無惨に逃げられ、鬼狩りとして何もできなかったと感じているからです。縁壱は何もできなかったと感じているようですが、鬼舞辻無惨に永遠に消えない傷跡を残し、炭吉を通じて後世に日の呼吸を残すなど、何の価値もない男ではありません。
縁壱は無惨と対峙した際、このように言っていました。「私はこの男を倒すために、生まれてきたのだとわかった」。そして、それは叶わなかった。縁壱は妻のうたをなくし、さらに生まれてきた理由すらもなくし、自分にはもう価値がなくなったと思ってしまったようです。
縁壱は生まれた時に「忌み子」として扱われ、生まれた時から生きる意味を探していたのではないでしょうか。「自分の強さは何のためにあるのか」とも考えたでしょう。うたと出会うことにより、一つの生きる意味が見つかった。
しかし、うたが鬼に殺されてしまったことにより、縁壱は再び生きる意味を失った。そして、鬼舞辻無惨と出会うことで、自分の強さはこの男を倒すために授かったのだと確信する。哀しみを乗り越え、辿り着いたのがその結論でした。
「お前には私が、何か特別な人間のように見えているようだが、そんなことはない。私は大切なものを何一つ守れず、人生において為すべきことを為せなかった者だ。何の価値もない男なのだ」
ここまで読み解くと、この言葉の意味が真に伝わってくることでしょう。縁壱だって人間です。この時は、一種のうつ状態だったのかもしれません。そして、それは炭吉たち竈門家によって、癒されていきます。そのお話はまた今度。
まとめ
継国縁壱。僕が作中で最も好きな人物です。強く、そして深い。物語の序盤から登場し、徐々にその人物像が明らかになっていく。過去から現代まで、いたる所でストーリーに絡んでおり、鬼滅の刃の中で最も深く語れるキャラクターです。
継国縁壱のまとめについては、過去に記事を出していますので、そちらもぜひご覧ください。縁壱がどれだけ深い人物か、おわかりいただけるかと思います。
継国縁壱の名言
- 「この国で二番目に強い侍になります」
- 「いただいたこの笛を兄上だと思い、どれだけ離れていても挫けず、日々精進致します」
- 「道を極めた者が辿り着く場所は、いつも同じだ」
- 「この世は、ありとあらゆるものが美しい。この世界に生まれ落ちることができただけで、幸福だと思う」
- 「自分が命より大切に思っているものでも、他人は容易く踏みつけにできるのだ」
- 「出会った瞬間に、私はこの男を倒すために生まれて来たのだとわかった」
- 「命を何だと思っている?」
- 「お労しや、兄上」