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アニメ鬼滅の刃「刀鍛冶の里編」に登場する霞柱「時透無一郎」を徹底解説【きめつのやいば】ネタバレ

2022年12月17日

アニメ鬼滅の刃「刀鍛冶の里編」に登場する霞柱「時透無一郎」を徹底解説【きめつのやいば】ネタバレ

みなさん、こんばんは。先日アニメ鬼滅の刃・刀鍛冶の里編が、4月から放送日決定と発表され、ワクワクが止まらない!という方も多いのではないでしょうか。私もとても楽しみで、公開日が待ち遠しいです。

今回はその準備として、鬼滅の刃をざっとおさらいできるよう、刀鍛冶の里編の主要キャラである「時透無一郎」についてまとめました。無一郎について、柱の中での強さや技、人物像から過去の出来事など、あらゆる角度から詳しく解説します。

<1.プロフィール>

霞柱の時透無一郎は、8月8日生まれの14歳。主人公の竈門炭治郎は15歳なので、無一郎の方が年下なんです。身長は160cmで、体重は56kg。出身は景信山で、現在の東京都八王子市と、神奈川県相模原市の境界にあたる位置です。

趣味は紙切りや折り紙で、死ぬほど飛ぶ飛行機を作れるのだそう。好きなものはふろふき大根。アニメでは河西健吾さんが声を担当しています。

<2.強さ>

無一郎は鬼殺隊の頂点に立つ剣士「柱」の一人です。称号は「霞柱」で、柱の中で実は最年少。宇髄天元によれば、刀を握って二ヶ月で柱まで昇格したとのことで、まさに「天才」。

ちなみに炭治郎は、二年間の修行を経て、やっと鬼殺隊に入隊できたことから、いかに無一郎が天才であるかが伺えます。

柱内での腕相撲ランキングでは7位、俊足ランキングでは8位と「目に見えて力に優れている」と言えるほどではありません。しかし、わずか二か月で柱まで昇りつめたように、無一郎の秘めたる潜在能力は、柱内でもトップレベルなのではないでしょうか。

<3.霞柱の技>

霞柱の無一郎は「霞の呼吸」で技を繰り出します。

壱ノ型「垂天遠霞(すいてんとおがすみ)」

天に向かって垂直に刀を突く技で、頭上の敵への攻撃に効果的な技です。

弐ノ型「八重霞(やえかすみ)」

瞬時にいくつもの斬撃を繰り出す技で、その威力は水中においても脅威になるでしょう。

参ノ型「霞散の飛沫(かさんのしぶき)」

大きな円を描いて斬る回転技で、その衝撃は周りのものも吹き飛ばしてしまいます。

肆ノ型「移流斬り(いりゅうぎり)」

敵の足元から斜めに斬り上げる技で、名前の由来は「移流霧」という実在する気象現象とも言われています。

伍ノ型「霞雲の海(かうんのうみ)」

前へ突撃しながら、辺り一面を大量の霞で覆うように、素早く繰り出す細かい連続攻撃です。

陸ノ型「月の霞消(つきのかしょう)」

上空へ跳びながら、一面を霞で包み込むように斬りつけます。

漆ノ型「朧(おぼろ)」

これは無一郎が編み出した独自の型です。変幻自在の歩法で敵を撹乱します。まさに卓越した能力をもつ、無一郎だからこそ生み出すことのできた、霞の呼吸の性質を最大限に活かした技なんです。

<4.人物像>

「一人を守って時間を浪費するよりも、数十人の命を守る方が先」・「責任の重い柱と、それ以外の人間との時間の重さは平等ではない」などの発言があるように、合理的な内容ではあるが、どこか冷たい印象のある無一郎。

その性格について、炭治郎も「正論だけど配慮に欠けていて残酷」と述べています。ただ、その言動の背景には「鬼の魔の手から人命を守る」という鬼殺隊の理念があるんです。弱冠14歳とは思えない、強い責任感を感じます。

14歳といえば、現在の私たちの世界なら、中学生~高校生の年代。イメージしてみてください。14歳のあなたが無一郎の立場だったとき、「人の命を守る」という重大な責任を負えましたか?自分の命を懸けてまで。

しかも、一番頼りになり、甘えられる家族という存在が誰もいない状況で。並大抵の人ではとても受け入れられない状況を、無一郎は背負っています。無一郎の精神力の強さには、本当に脱帽します。

公式ファンブックによると、無一郎は元々強くて図太い性格の持ち主とのこと。鬼殺隊に入る前は、嵐が来ても雷が落ちてもどこでも寝れて、食欲が無くなることもなかったというエピソードもあります。無一郎は昔から心の強さを、自然と身に着けていたのかもしれません。

<5.過去>

さて、そんな強い精神力を持った無一郎ですが、どのような幼少期を過ごしてきたかも気になります。無一郎は、人里離れた山の中で、木こりとして生計を立てる父をもつ、ごく平凡な家庭で生まれました。

当初は父、母、そして双子の兄・有一郎の4人で過ごしていました。ただ、母は肺炎、父は薬草をとりにいった際に、崖から転落するという不慮の事故で亡くしています。

まだまだ親に甘えたいと思う年齢に関わらず、両親を亡くしてしまい、相当ショックを受けたのではないでしょうか。それでも生きていかなければならない。人生というものの厳しさ、残酷さを感じます。

こうして有一郎と無一郎の、2人での生活が始まりました。鬼殺隊での無一郎は正論を連ね、どこか冷たい印象のある人物でした。しかし幼い頃は、兄の有一郎は言葉が冷たく厳しい性格で、一方の無一郎は正反対でどこか弱気。

また有一郎は、父が母を助けようとして結局2人とも亡くなってしまったことから「情けは人の為ならず 誰かの為に何かしても ろくな事にならない」と考えるようになります。冷酷に聞こえますが、衝撃的な事故があったらそう思うのも理解できます。

一方で無一郎は「人の為にすることは 巡り巡って自分の為になるって意味だよ」という有一郎と真逆の考え方をもっていたため、この点でもたびたび食い違うことがありました。

さらに有一郎は「無一郎の無は無意味の無」と言い放ったり、2人の溝は広がる一方。2人は口すらきかなくなってしまいました。

そんな中ある日の夜、2人の家を鬼が襲撃しに来ました。このとき、有一郎は鬼の攻撃を受け、致命傷を負ってしまいます。ここで鬼は「いてもいなくても変わらないような つまらない命なんだから」と、瀕死状態の有一郎に向かって言いました。

その言葉に無一郎は、未だかつてない激しい怒りを覚え、一晩中応戦したのち、ついには鬼を討伐します。有一郎からたびたび厳しい言動を浴びていた無一郎ですが、兄を想う気持ちはずっと胸に残っていたんです。

父や母を失い、唯一の身内ということもあるでしょう。どうしても失くしたくない気持ちでいっぱいだったのではないでしょうか。そして最期に有一郎は、無一郎に一つの言葉を残します。

「無一郎の無は無限の無」。

有一郎は、無一郎が無限の力を発揮できる、選ばれし人物であることがわかっていたんです。産屋敷あまねが時透兄弟を鬼殺隊に誘ったときは、有一郎が彼女を必死に追い返しました。

このとき追い返した背景は、「無一郎の無は無意味の無」でとても鬼殺隊に入れないから、ではなかったのです。「無一郎を危険な目に会わせたくない」「どうしても守りたい存在」という気持ちで断り続けていたのではないでしょうか。

有一郎にとっても、無一郎はとても大切な存在だったんです。きっと兄として、弟を守らなければという使命感にも必死だったのでしょう。あえて「無一郎の無は無意味の無」と言い無一郎の自信を落として、鬼殺隊への道を閉ざすような言動を続けた。

有一郎もまだ幼い年齢です。大切な命を守るための手段として、冷たい対応をとることでしか、対処できなくても仕方がありません。「嫌われている」と思うまで傷ついていた無一郎が、最期に兄の本当の気持ちを知ることができたのでした。

<6.最終決戦>

過去の辛い出来事を乗り越え、異常なスピードで柱まで昇りつめた無一郎。無惨を討伐する「無限城決戦編」でも活躍します。ここでは上弦の壱の鬼、黒死牟と対戦。「上弦の壱」という実力を兼ねる黒死牟には、天才・無一郎でも苦戦。

無一郎は、左手首や胴体を切り落とされ、即死レベルの攻撃を受けてしまいます。しかし無一郎は、最後の力をふり絞り、黒死牟に致命傷を与えることに成功。後の黒死牟の討伐に大きく貢献しました。

責任感が強く、人のために尽くしたいと常に願う無一郎の気持ちが、前面に現れた最期だったのではないでしょうか。

<7.死後>

黒死牟との戦いで最期を迎えた無一郎。天国で有一郎と再会します。ここで有一郎は「無駄死にだ。こんなんじゃ何の為にお前が生まれたのかわからないじゃないか」と泣きながら訴え、無一郎は「僕は幸せになる為に生まれてきたんだ」と言い返します。

そして再び有一郎は、ここで本音をこぼします。「だけど俺は、無一郎に死なないで欲しかったんだ。無一郎だけは」。そう言って2人は抱擁を交わします。

生前は、有一郎の最後の一言をきくまで「無一郎は兄に嫌われているのか」とさえ思っていたはず。最後の一言で兄の本心をきくも、有一郎はまもなく息絶えて、離ればなれになってしまいました。

その中で天国で再会を果たし、お互いの気持ちをやっと確かめ合えた。本来は両親の元で、仲良く過ごしていたかもしれない、有一郎と無一郎。

平和な日常であったなら、両親からたっぷり愛情を受けて、楽しく過ごしていたのではないでしょうか。辛い過去を背負った双子の兄弟が、平和に楽しく過ごしていける。そんな瞬間を、やっと迎えることができたのでした。

<最後に>

最後に私が大好きな、無一郎の残したセリフを取り上げたいと思います。それは「僕は幸せになる為に生まれてきたんだ」というセリフ。

皆さんは生きている中で「自分は不幸だ」、なんて思ったことはありませんか?嫌なことや辛いことがあったときなど、誰もが一度は感じたことがあるのではないでしょうか。

そのときは、この「僕は幸せになる為に生まれてきたんだ」という言葉をぜひ思い出してほしいです。人生は、神様があえて罰ゲームとして人を生かしているものとは思えません。生まれてきた一人ひとりに意味があり、幸せを感じるため、ご褒美として人は生かされていると思いませんか?

人ほど「楽しい」「うれしい」など感じることのできる、感情豊かな生き物はいないでしょう。また、「幸せになるために生まれてきた」と常にアンテナを張れば、「食べるものがある」「友達がいる」「目標がある」など、いかに恵まれた環境で囲まれているかに気づくでしょう。

そう、人生というものは、実は小さな幸せ、身近なだけに気づきにくい幸せで溢れているんです。つらくて「自分は不幸だ」と思ってしまうとき、「自分は幸せになる為に生まれてきたんだ」という言葉を思い出すよう心がけてみてください。きっとあなたの人生もすでに、幸せで溢れていることに気づけますから...。

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