上弦の陸
みなさんこんばんは。今回は上弦の陸・妓夫太郎についてです。今年放送予定の、鬼滅の刃遊郭編のボスキャラクターである妓夫太郎と堕姫。
二人は上弦の中でも特殊な「二人で一つ」という能力を持っています。この能力は、二人が幼い頃にずっと一緒にいようと約束したことを、鬼になっても守り続けていたという、何とも悲しい能力なのです。
ほとんどの鬼は人間時代の記憶を忘れてしまいます。しかしその名残は、本人たちの意識のないところで残っているのです。猗窩座もそうでした。
というわけで、今回は妓夫太郎についての考察のようなものです。それではスタート。
妓夫太郎
実は妓夫太郎には、もともと名前がありませんでした。というのも、ボサボサの髪に猫背でやせ細った体。そして血のような染みがある陰気な顔。この容姿のせいで、親からも名前を付けてもらえなかったのです。
そのため、その後に彼の仕事の「妓夫」がそのまま名前になりました。実際に妓夫太郎という言葉もあり、その仕事は遊郭の客を呼び込んだり、勘定を徴収するというものです。
また、裏では寝具の掃除や掛け金の回収などもしていました。妓夫太郎の場合は、その回収率がなんと120%。不気味な様相は妓夫太郎の仕事に大きくプラスとなっていきました。
生まれてから誰にも愛されることなく、遊郭の下働きとして地獄のような日々を過ごしてきた妓夫太郎。そのため全ての人間に対して憎悪の感情を抱いており、その人間に対しての取り立ては、妓夫太郎にとって気分のいいものでした。
その性格は鬼になっても変わることがなく、むしろ鬼になったことにより、より陰険で残忍な性格になっています。それは過去の出来事も影響しているのですが、そちらは後でお話します。
「なあ」とすごむような口調が特徴的で、感情が高ぶると身体をかきむしる癖があります。普段は妹の堕姫の中で眠っており、堕姫がやられそうになると姿を現します。
これがまた面白くて、堕姫の中に眠っている妓夫太郎は、堕姫がどれだけダメージを受けても平気なようです。堕姫が禰豆子の爆血で燃やされていても、その後に妓夫太郎がダメージを負っていたような様子は見えませんでした。
どういった原理で中にいるのかは分かりませんが、普段はダメージを受けないところで眠っていて、堕姫の一言で呼び起こされる。それが妓夫太郎です。
無惨からの妓夫太郎への評価はお気に入り。過去の境遇と、どん欲な性格を高く評価されています。これは基本的に部下を信用しない無惨にとって、異例の評価となります。
能力
まずは主に上弦の陸の能力から。上弦の陸はめちゃくちゃ強い。妓夫太郎の戦闘能力の高さ、そして喧嘩慣れしているため戦術眼も秀でています。妹から得た情報を元に、戦術を組み立てるという場面もありました。
この点、少し童磨に似ています。童磨に拾われた二人ですから、そのあたりも関係しているのかもしれません。
ただ、堕姫との戦力差があるため、堕姫が足手まといになってしまうこともあります。その差をうまく埋めているのが、妓夫太郎の目を堕姫に渡すという能力。
これまたどういった原理か不明ですが、妓夫太郎の片目を堕姫に移動させることができます。堕姫はこの状態になることにより、本来の力を発揮することができます。
しかしよく考えてみれば、妓夫太郎の戦闘力は少し落ちると思います。妓夫太郎の片目を堕姫に渡しているので、堕姫はパワーアップしていますが、妓夫太郎はパワーダウンしているはず。
つまり、二人の戦闘力の差を埋めて全体的な戦いを有利にする。それがこの能力の真の意味と思われます。妓夫太郎の個体はパワーダウンしますが、逆に堕姫からの情報も手に入るので、そこはプラスに働くでしょう。
また、離れていながら目を移動できるということは、離れていても繋がっているということであり、無惨との繋がりと似たような状態なのだと思います。
妓夫太郎と堕姫の倒し方は、二人同時に頸が離れた状態にすること。二人同じタイミングでなくとも、二人とも頸が離れたらOKのようです。
この能力が人間からするとかなり厄介で、一人が斬られても一人がどこかに潜んでいれば、一生この二人を倒すことはできません。
朝日によって片方が消滅した場合、片方が日陰にいたらどうなるのか。そこは不明ですがどうなるのか見てみたいですよね。
血鬼術
今度は妓夫太郎の血鬼術についてです。自らの血を鎌に変える能力を持ちます。そして、その鎌には猛毒が塗られています。通常の鬼殺隊士であれば、かすっただけでも死に至るという猛毒です。
忍で毒に耐性をつけていた宇髄天元でさえ、即死は免れたものの徐々に弱っていきました。
妓夫太郎の血鬼術は、本編で3種類登場しています。全ての技に猛毒が付与されています。まず一つ目は飛び血鎌。薄い刃のような血の斬撃を飛ばす技です。
飛び血鎌の斬撃は、妓夫太郎の意思によって軌道を自由に操れます。敵に当たるまで追い続ける、半自動追尾機能がついています。
そして二つ目の技は跋狐跳梁。血の斬撃で天蓋を作る防御技。後ろにも斬撃が発生していることから、全方位への防御技となります。防御技でありながら、至近距離への迎撃技としても使えます。
そしてもう一つの技が、円斬旋回・飛び血鎌。腕の振りなどの予備動作を一切なしに発動できるチート技。妓夫太郎の死の間際に発動した際は、あたり一帯を吹き飛ばす程の威力を見せました。
この妓夫太郎の能力は、実はとてつもなく強い。上弦でも、もっと上にいけていたかもしれません。ほとんどの人間はかすっただけで即死ですから、種類は違えど無惨クラスの血の毒です。耐性があっても毒を当てて逃げてしまえば、ほとんどの場合は勝ててしまいます。
しかし上弦として陸に留まっていたのは、入れ替わりの血戦時に毒があまり役に立たないから。僕はそんな風に思いました。
過去
無惨にすらお気に入りと言わせる、妓夫太郎の凄惨な過去。遊郭の中で最も劣悪な環境に生まれ、親ガチャもハズレを引きます。生まれてくる前に何度も殺されそうになり、生まれてきてからも何度も殺されかけた。
醜い容姿から、この世にあるすべての罵詈雑言を浴びせられ続けた妓夫太郎。そう思うと、妓夫太郎がおかしくなってしまったのは仕方のない事とも思えてきます。人は環境によって変わってしまいますから。
妓夫太郎の顔には、血の染みのような痣があります。これは先天性梅毒にみられる症状らしく、妹の梅という名前からしても、おそらく母親から感染したもの。
ご飯を食べるお金もないため、お腹がすくとねずみや虫を食べていたそうです。そんな生き地獄にいた妓夫太郎ですが、梅が生まれてからは少し人生が変わりました。
堕姫の人間の頃の名前が梅。母親は梅のことも髪の色を気味悪がり、殺そうとしたことがあります。そこを妓夫太郎は助けました。
そういったトラブルは日常茶飯事だったようで、母親は梅の髪の毛を剃刀で切ったことがあるそうです。もちろん気味が悪いという理由で。
そのことに妓夫太郎は逆上し大暴れ。母親は妓夫太郎に恐怖を感じ怯えるようになっていきます。そして親子の力関係が逆転。母親は妓夫太郎と梅と距離を置くようになります。
こうした経緯から、梅にとって妓夫太郎は、危機を救ってくれた家族であり英雄となります。梅は、妓夫太郎の容姿を醜いとは思っていなかったようです。それは最期の回想で梅が語った通りです。
容姿ではなく、助けてくれた妓夫太郎の心を、梅は愛していたということ。これは容姿に自信がないという方への、励みになっているとかなんとか。
そして妓夫太郎にとって美しい梅は、自分の劣等感を吹き飛ばしてくれる存在。文字通り、二人は一つで最強でした。ようやく人生が好転していく。そう思った矢先でした。
回想には十三の頃と書かれています。梅が客の侍の目をかんざしで突き、失明させてしまいます。その理由は、妓夫太郎を侮辱されたから。梅にとって妓夫太郎は自分を救ってくれた英雄です。
そんな英雄を侮辱されたことは、本当に許せないことだったのでしょう。そして、梅は生きたまま焼かれます。妓夫太郎が駆け付けた時、梅はまだ生きていました。しかし瀕死の状態。
妓夫太郎は泣き叫びます。そんな絶望の中、背後から妓夫太郎を斬りつける例の侍。梅が働いていた店の女将は、妓夫太郎のことを厄介者だと思っており、侍に処理を頼んだのです。
自分の目を突いた女の兄となれば、侍にとっても報復対象としてはもってこいだったのでしょう。しかし、もともと喧嘩が強かった妓夫太郎は反撃。女将と侍を一蹴してしまいます。
そして、梅を抱き上げ彷徨う妓夫太郎。瀕死の状態だった梅と、背中を斬られ出血多量の状態だった妓夫太郎。二人はついに力尽き倒れてしまいます。
そこに現れたのが、当時上弦の陸だった童磨です。なかなか童磨が人間を鬼に勧誘するとは、珍しいような気もします。童磨も女を喰うことで強くなってきたという過程から、遊郭に潜んでいたのかもしれません。
妓夫太郎のことも知っていたのかもしれません。そして、ここぞとばかりに声をかけた。童磨なら計算してやってそうなもの。
そして妓夫太郎は自ら望んで鬼になりました。さて、ここからが本題です。
心残り
妓夫太郎の心残りは、梅という存在です。自分が育てたために、梅は侍の目を突くような人間になってしまったのだと、妓夫太郎はそう思い込んでいます。
実際は、兄の妓夫太郎を想ういい子に育っていたというのに。この事実、おそらく妓夫太郎は知らないままでしょう。だからこそ、地獄への道で違う道を進むよう、妓夫太郎は梅に言ったのです。
自分と一緒にいなければ、梅にとっていい結果になると妓夫太郎は思っていたからです。妓夫太郎は、梅に明るい方へ行けと言いました。二人とも鬼になり人を殺しているので、おそらくは二人とも地獄行きだと思います。
ここは妓夫太郎の心が表れていたのではないでしょうか。自分には暗い未来がお似合いで、梅には明るい未来がふさわしいと。そう妓夫太郎は思っていた。
しかし、梅は違います。梅が望んだことは、兄の妓夫太郎とずっと一緒にいること。それが例え鬼になろうが何だろうが、梅にとってはどっちでも良かったのです。
幼い時に妓夫太郎に救ってもらい、妓夫太郎がいたから生きてこれた。どんなに苦しくても、妓夫太郎が心の支えになった。それは鬼になっても変わりませんでした。
なので、二人にとっては辛い過去があったとしても、梅は二人でいれた時間は幸せだっただろうし、妓夫太郎にとっても何も心残りに思う様なことはないのです。これが二人の真実です。
まとめ的なもの
いかがでしたでしょうか。妓夫太郎も深く考察してみると、また違った感動がありました。妓夫太郎の言葉で、いくつか強く印象に残っているものがあります。
「何も与えなかったくせに取り立てるのか」
梅を焼かれた時に妓夫太郎が言った言葉です。これは違うなと思いました。どういう事かというと、妓夫太郎は自分の人生に、神様が何も与えなかったと言っています。
しかし妓夫太郎には、梅という存在が与えられています。それこそが、妓夫太郎の救いとなりました。それは最期の最後まで。
「禍福は糾える縄の如し」
妓夫太郎はこうも言いました。この言葉には、不幸と幸福は交互にやってくるという意味があります。まさしく妓夫太郎の人生も、不幸に生まれたけれど、梅が生まれてから幸福なときもあったはず。
妓夫太郎はずっと自分の人生を不幸だと思っていました。これは、ためになる話です。妓夫太郎はいい時もあったのに、それをいい時だと認識できていません。
これは僕たちの人生にも応用できます。本当に自分がずっと不幸なのか。身近なところに幸せがあるのではないか。たまには振り返ってみるのもいいのではないでしょうか。
そんなことも、この二人の兄妹からは学ぶことができます。
ということで、今回の記事は以上です。みなさんも思うところがあれば、コメント欄で語ってみてください。それではまた♪