今話題になっている「煉獄さんの向き」。これは何を表しているのか。今回はそちらを深く考察するとともに、今までの扉絵の歴史についてもお話していきたいと思います。ネタバレを含みますのであしからず。
人物の向き
こちらは各章のオープニングで必ず描かれる、炭治郎と柱のシーンです。最初は炭治郎一人でしたが、アニメ無限列車編から柱が活躍するため、このような構図に変化していきました。
アニメ無限列車編では炎柱・煉獄杏寿郎。アニメ遊郭編では音柱・宇髄天元。アニメ刀鍛冶の里編では恋柱・甘露寺蜜璃、霞柱・時透無一郎が、炭治郎と一緒にオープニングに登場しています。それぞれ各章でメインとして活躍する柱です。
今回話題になっているのは人物の向きです。初期の炭治郎は左向き。遊郭編・刀鍛冶の里編の柱は、どちらも左向き。無限列車編の煉獄さんだけが右を向いています。ほとんどの人はご存じかと思われますが、理由は明白。
「煉獄さんだけ亡くなってしまったから」。死者は右を向く。どこかで聞いた話です。原作でも同じような演出がありましたが、そちらについては後程お話しします。
煉獄杏寿郎は死亡、宇髄天元は生還、甘露寺蜜璃・時透無一郎は刀鍛冶の里編では生還。これらはその表れです。
また、宇髄天元だけ少し特殊なカラクリがあります。それは、腕だけ右に振っているということ。宇髄天元は遊郭編で腕を失くしてしまいました。それがこちらのシーンには反映されています。刀鍛冶の里編の構図に関しては、今のところ特に変わったところはありません。
どうして右向きなのか
「死者は右向き」というのは何故なのでしょうか。これは着物の着方に関係性があると言われています。死者に着させるのは左前の白装束。この構図は、左前の着物の着せ方そのものなのです。
左前とは、着物を着る側から見て左を先に合わせるということ。前に左が来るということではありません。つまりこの絵は、左を先に合わせて右から炭治郎が覆いかぶさっている形、白装束と同じ形なのです。
「そこまで考えて作られているのか」という疑問を抱く人もいらっしゃるでしょう。しかし原作で同じような演出があったこともあり、ただの偶然で作ったとは到底思えないので、きちんと考えて作られたと捉えるべきでしょう。
今後の流れについて
2023年4月より、テレビアニメ刀鍛冶の里編の放送が始まりました。現時点では炭治郎と甘露寺蜜璃・時透無一郎が左を向いている状態。ここから先のこのタイトルのシーンは、どのように変化していくのでしょうか。
柱稽古編
刀鍛冶の里編の次は柱稽古編です。柱稽古編は柱が死ぬということはありません。ただ、一人死んでしまう印象的な人物がいます。それは産屋敷耀哉。お館様です。今まで柱で来ているところを変えるかどうかは怪しいところです。ですが、もしかしたら次はお館様が右を向くかもしれない。
まだ柱稽古編を、アニメでやるのか映画でやるのかは不明です。僕は映画だと睨んでいます。そしてその後、無限列車編のようにテレビアニメとしても再構築する。その時に、ひょっとしたらお館様が右を向く流れになるかもしれません。
無限城決戦編
柱稽古編の次は、無限城の中での決戦が待っています。僕は無限城内部の戦いを無限城決戦編、無限城から外に出た後の決戦を、最終決戦と呼んでいます。公式の名称ではないのであしからず。
無限城の内部では、童磨・獪岳・猗窩座・黒死牟・鳴女との戦いがありました。参戦キャラは胡蝶しのぶ・栗花落カナヲ・嘴平伊之助・竈門炭治郎・冨岡義勇・我妻善逸・時透無一郎・悲鳴嶼行冥・不死川実弥・不死川玄弥・伊黒小芭内・甘露寺蜜璃の総勢12人。
このうち、無限城内で死亡してしまったのは、胡蝶しのぶ・時透無一郎・不死川玄弥の3人です。
無限城編についても、アニメか映画かはわかりません。もしアニメだとして、タイトルの例のシーンが描かれるとするならば、炭治郎・義勇・実弥・行冥・小芭内・蜜璃の6人が左側、しのぶ・無一郎が右側につくことになります。
6人を左に持ってくるのは、なかなかスペース的に難しい気もします。柱ではない玄弥をどうするのか問題もあります。
最終決戦
最終決戦は多くの柱が犠牲になりました。最終決戦に参戦したキャラは、炭治郎・善逸・伊之助・カナヲ・義勇・実弥・行冥・小芭内・蜜璃の総勢9人。このうち死亡してしまうのは、行冥・小芭内・蜜璃の3人。生存者は6人です。
タイトルシーンを炭治郎と柱だけのバージョンでいくなら、炭治郎・義勇・実弥の3人が左、行冥・小芭内・蜜璃の3人が右。これだとバランスが良さそうです。ただ、最終決戦というのもありますし、いつまでも同じ構図でいくのかどうかも少し疑問点ではあります。
扉絵考察の歴史
ここからは、原作の歴史を振り返っていきたいと思います。原作でも扉絵の人物の配置や向きによって、生存者・死亡者を予想するということが多々ありました。
第45話の扉絵
まずはこちらの扉絵。こちらは柱の生死を暗示しているのではないかと考察されました。この扉絵では、手前6人の柱がカラーなのに対し、奥の3人はノーカラーです。これが生死を分けているのではないかと。
柱の中で最初に死亡したのは、無限列車編に登場した煉獄杏寿郎です。その時点で、死亡者は手前に限定される構図となりました。そして話は進んでいく中で、次に死亡したのは無限城決戦での胡蝶しのぶ。これまた手前の人物です。そして次に死亡したのは、同じく無限城で時透無一郎。
無限城決戦編の時点では、手前6人死亡説が濃厚だったわけです。残すは義勇・小芭内・蜜璃の3人。奥の3人もモチロン生きています。そして、宇髄天元は戦闘に参加していないため生き残る確率は高い。
そうしてなかなか伏線は回収されないまま、ストーリーは最終決戦へと突入します。最終決戦、最終回間近で死亡したのは、奥にいる行冥・手前の小芭内・蜜璃でした。この時点で、この扉絵は生死に関係ないことが明らかになりました。最後の最後で覆されたのです。
結局柱で生き残ったのは、奥にいる不死川実弥・宇髄天元、手前の冨岡義勇の3人でした。この扉絵では向きに関しても特に意味はありません。
第200話の扉絵
続いてはこちらの扉絵です。こちらは最終回間近ということで、あえて生死を分けて描かれた一枚。ただし、最終決戦参戦の柱においてです。左側にいる柱は、生き残った義勇と実弥。右側にいる柱は、死亡してしまった行冥・小芭内・蜜璃。
物議を醸したのは、炭治郎も右側にいるということ。そして、扉絵に書かれた文字についても。炭治郎が右側にいるということは、炭治郎まで死んでしまうのか。
右側に書かれた文字は「想い・別れ・遺し」。左側に書かれた文字は「受け継ぐ・人の意思」。まるで炭治郎も死亡してしまい、炭治郎の意思を禰豆子が受け継ぐかのような。そんな風にも見えます。
第200話といえば、鬼舞辻無惨が日光により消滅し、いよいよ戦いが終わったかというところ。戦いでボロボロになった皆が、扉絵通り死亡、または生還していく。そして、最後は炭治郎が死亡してしまいます。
ただし、201話で炭治郎は鬼化により復活。最終的には生き残ります。この扉絵に関しては、最終的な死亡・生存を示唆していたわけではなく「200話で炭治郎が死ぬ」と思わせることで話を盛り上げたに過ぎません。
当時は炭治郎が死亡することで、後味の悪い終わり方になるのかもしれないと、皆がヒヤヒヤしたものです。
第204話の扉絵
最後にこちらの扉絵をご紹介しましょう。この扉絵にも実は意味があります。写っているのは死亡してしまったキャラと、それを見守るかのような炭治郎と禰豆子。死亡してしまった杏寿郎・行冥・無一郎・蜜璃・小芭内・しのぶ・玄弥。
奥にはうっすらシルエットがあります。これは今まで亡くなった鬼殺隊の人たちではないでしょうか。歴代の柱などです。そして、もう一人この扉絵には隠されています。
珠世です。珠世がここに皆と逆向きで描かれています。どうして珠世だけ違う方向に向かっているのか。答えは明白。珠世は地獄に向かっているのです。他の皆は天国にむかっています。
珠世は最終決戦で無惨討伐に貢献したものの、一時は自暴自棄になり人を大勢殺しています。どれだけ後から貢献したとしても、天国へは行けないということなのでしょう。
また、他にもこの扉絵には秘密があります。一部の柱が顔を背けているのです。顔を背けているのは、杏寿郎・小芭内・そして珠世も顔が写っていません。
これは都市伝説のようなものですが「顔を負傷した人物は、顔を背けている」という説があります。杏寿郎は猗窩座の攻撃で顔に傷を負い、小芭内は無惨の攻撃で顔に傷を負いました。珠世も最後は無惨に顔を潰されています。なので「この説は十分ありえる」と言えるでしょう。
また、蜜璃も無惨から顔に攻撃を受けており「そこがあえて隠されているのではないか」という説もあります。蜜璃は左耳あたりを負傷しました。ちょうどそこに小芭内が被さるようにいることで、蜜璃の傷を隠しているようにも見えます。
この構図は感慨深いものがあります。蜜璃は小芭内の傷を何とも思わず、笑顔で語りかけている。そして小芭内は、蜜璃の傷を隠すように前に立っている。この絵からは、おばみつのラブラブ度が伺えます。
ただ、一つだけ気がかりな点が。確かに顔を負傷した人物は隠されているように見えます。では、無一郎と玄弥はどうなるのでしょうか。無一郎は胴体を横に真っ二つ。玄弥は縦に真っ二つ。負傷箇所は隠されているようにも見えますが、玄弥の向こう側を創造すると少し怖い。
まとめ
今回は、テレビアニメのタイトルのシーンの構図から、原作の扉絵に関してまでを考察・振り返ってみました。ここを知っておくことで、今後のテレビアニメの挿絵などを見た時に、新たな発見があるかもしれません。
刀鍛冶の里編も始まったばかり。今後の展開が非常に楽しみです。皆さんも一緒に楽しみましょう。今回はこのあたりで。それではまた。