いよいよきました。鬼滅の刃アニメ柱稽古編7話。とうとう地獄の入り口に足を踏み入れました。
まさかエンディングの無惨が歩いていく先が、お館様の屋敷だったとは。予想していた人がいたようですが、さすがです。
そして、この無惨の嬉しそうな顔。1000年にも渡って探し続けた産屋敷。悲願だった、産屋敷率いる鬼殺隊の殲滅。その夢が、今叶おうとしている。
鬼舞辻無惨が1000年間ものあいだ、達成できていない目的。それは太陽克服と、産屋敷一族の殲滅 ならびに鬼殺隊の殲滅。最高管理者である産屋敷を潰せば、鬼殺隊は機能しないことを知っていたのでしょう。
今目の前に産屋敷がいる。ようやく大きな目的のひとつが達成できる。そのワクワク感が顔に出てしまっている。そして、太陽克服のカギである禰豆子についても、鳴女の能力でじきに見つかる。そう思っていることでしょう。
無惨の中では、何もかもがうまくいっている。ようやく『生きること』を邪魔するものは居なくなる。
1000年にも渡って自分の命を狙い続ける産屋敷、鬼殺隊を殲滅することで、もう縁壱のような人間に怯えることはない。また禰豆子を吸収することで、太陽に怯えることはなくなる。
思えば、無惨はずっと怯え続けてきました。戦国最強の剣士、継国縁壱。鬼舞辻無惨、生涯一度の敗北。それまでずっと太陽に怯え続けてきた無惨は、もう一つの太陽である、継国縁壱にも怯え続けていくことになります。
無惨からしてみれば、天に輝く太陽が、地上に降臨したような感覚に陥ったでしょう。無惨が鬼殺隊の殲滅を目論んでいたのは、次の太陽的存在が出ないようにするため。日の呼吸という忌々しい呼吸を生ませないようにするため。
しかし、次の太陽である炭治郎が大正に生まれてしまったと。
ということで今回は、アニメ柱稽古編7話について、じっくり解説していきます。今のうちにチャンネル登録、いいねと共有、コメントは絶対です。では参ろう。
反復動作とチュン太郎
序盤は炭治郎が、反復動作と体の使い方をマスターしていく流れ。岩柱の柱稽古は、筋肉強化訓練。ギリギリ押せるか押せないかの岩を押すことで、筋肉の使い方を掴んでいきます。
そして、伊之助も反復動作を習得していく。大好きな天ぷらと猪突猛進という言葉により、伊之助は力を増す。反復動作はネガティブなものだけではなく、ポジティブなものでも効果があることが判る。
そして、チュン太郎から届く一通の手紙。これはただの手紙ではない。そのことは、チュン太郎の様子からも見て取れる。
訓練終了
反復動作と痣の力を使い、炭治郎は一町先まで岩を押すことに成功した。しかし、意識が朦朧としている。それもそのはず。痣の状態で動き続ければ命にかかわる。さらに水分補給を怠っていたため、脱水症状に陥っていた。
そこに、木の陰から見守っていた悲鳴嶼さんが登場。炭治郎に水分を補給させる。そして、竈門炭治郎を認めると言った。悲鳴嶼さんが認めたのは、訓練を突破したことに加え、刀鍛冶の里で炭治郎が、妹よりも里の人間の命を優先したということ。
しかし、これは炭治郎も言うように、妹の禰豆子の決断による影響が大きかった。それを正直に話す炭治郎。そして、簡単に自分を認めないでくださいと言う。
それを聞いた悲鳴嶼さんは、逆に炭治郎をさらに認めることに。子供は嘘つきで我欲の塊、という固定概念を持っている悲鳴嶼さん。いつも嘘をつかない真っすぐな炭治郎を見て、子供への考え方が変わりつつあった。
岩柱・悲鳴嶼行冥の過去
炭治郎を認めた悲鳴嶼さん。実は義勇に似て言葉足らずな悲鳴嶼さんは、突然過去のことを話し始める。
悲鳴嶼行冥の両親については、母親は出産時に死去、父親は病によって亡くなっている。身寄りが無くなった悲鳴嶼さんは寺育ちだった。
行冥は寺に住み、盲人ながらも孤児を引き取って暮らしていた。血の繋がりこそなかったものの、仲睦まじく互いに助け合い、家族の様に暮らしていた。行冥はずっとそのように生きていくつもりだった。
ここでは沙代のアニオリも挿入。痩せている行冥に対し、自分の魚を差し出す沙代。これは、あとの残酷なシーンを強調するための、沙代の優しい子供らしさを見せるシーンでしょう。
獪岳の、笑って幸せそうに暮らしている姿も印象的。この時は、そんなに悪い奴じゃなかったと思う。
原作で子供の名前は、沙代と獪岳しか判明していませんが、アニメではそれぞれ名前を呼んでいます。かずのり、りょうたろう、あさみ。
獪岳事件
とある日「日が暮れる前に家に戻る」という言いつけを守らなかった獪岳が、山中で鬼と遭遇してしまう。こいつが後の上弦の陸・獪岳。
獪岳は自分が助かるために鬼に命乞いをし、なんと、寺にいる行冥や子供たちを鬼に喰わせると差し出した。
獪岳は、鬼の脅威を防ぐために焚いていた藤の花の香炉を消し、寺の中へ鬼を招き入れた。そして、すぐに四人の子供が殺されてしまう。
このシーン、鬼の脅威がとてもよく分かる。音が残酷さを増幅している。無一郎の過去のシーンを思い出してしまった。
行冥は他の子ども達を守ろうとするも、子供達は言うことを聞かずに逃げ出してしまう。当時の行冥は、食べる物も少なく痩せ細っていた。また、気も弱かったため大きな声を出したこともなかった。
さらに盲目ということで、子供たちは行冥を頼っても助からないと判断したのだ。その結果、逃げ出した三人の子供も鬼に殺されてしまう。
たった一人、一番年下の沙代だけが、行冥の後ろに隠れて泣いていた。行冥は、沙代だけは守らねばと必死で戦った。生き物を殴る気色の悪さを感じながら、全力で拳を振るう。
その威力は、行冥自身も恐れるほどの威力。鬼に襲われなければ、行冥は自分が強いということを死ぬまで知らなかった。
アニメでは、行冥と鬼の戦闘シーンが細かく描写された。鬼の両腕を引きちぎり、初めてとは思えないほど綺麗なストレート。これには鬼もびっくりでしょう。
そして行冥は、夜が明けるまで鬼の頭を殴り潰し続けた。夜の間、鬼は再生を続ける。朝日により消滅するまでは。行冥の鬼を殴り続けるシーン。リアルすぎる。殴るたびに切れた数珠が跳ねる。
そうして命がけで沙代を守り抜いた行冥。朝になり、人が駆け付ける。そこで沙代は言った。
「あの人は化け物。みんなあの人が、みんな殺した」
鬼は朝日により消滅していたため、沙代が言ったあの人とは、自動的に血まみれの行冥となってしまった。そして行冥は、殺人の罪で投獄されてしまう。そのうち処刑される予定だった。
牢屋で待つ行冥
今回、新たに感じたものがあります。それは、牢屋で泣く行冥を見た時。これは沙代の助けを待っている涙なのではないかと。
沙代は事件のショックで話せなくなっています。行冥は、落ち着いたら沙代が来てくれると、みんなに無実の証明をしてくれると、待っていたのではないでしょうか。
沙代もできるなら そうしたかったのかもしれない。しかし、沙代は言葉が出なかった。
行冥は、魚を差し出した沙代ならきっと、自分を助けに来てくれると信じていた。こうしたすれ違いの中で、行冥は子供に対して酷いトラウマを抱えることになっていったと。
トラウマ解消のきっかけ
稽古をやり遂げた炭治郎の、頭をなでる悲鳴嶼さん。過去に沙代の頭をなでていた姿と重なる。悲鳴嶼さんのトラウマは、素直で真っすぐな子供、炭治郎という存在によって少し解消された。
しかしまだ、完全にトラウマはぬぐい切れていない。悲鳴嶼さんの子供に対してのトラウマは、最後の最後で解消される。まだ悲鳴嶼行冥の過去の話は終わりではない。
沙代のその後
行冥に助けられた沙代。その後はどうなったのか。単行本16巻の扉絵で語られている。
沙代が言った『あの人は化け物、あの人がみんな殺した』と言ったあの人とは、行冥のことではなく鬼のこと。初めて鬼を見た沙代は、鬼のことを化け物のような人と認識していた。
沙代は事件のショックにより、まともに話すことができなくなっている。そのため、行冥の容疑を晴らすことができなかった。沙代は14歳になっており、今でもその時のことを謝りたいと思い続けている。
過去の真実
柱稽古編アニメ6話で描かれる、悲鳴嶼さんの過去の話。真実は少し違います。
まず、獪岳は言いつけである門限を破ったのではなく、お寺の子供たちに追い出されていたということ。その理由は コミックス17巻に書かれています。獪岳はお寺のお金を盗んだことで、他の子供たちから責められ、お寺を追い出されていたのです。
悲鳴嶼さんは獪岳のことを鬼から聞くまで、そのことを知りませんでした。お寺の子供たちからは、獪岳は寝ていると聞いていたためです。
原作200話、悲鳴嶼さんの最期のシーンで、子供たちが獪岳のことに対して謝っていたのは、獪岳が寝ていると嘘をついたことに対してでした。そして、獪岳を追い出してしまったことで、みんなが殺されてしまったことに対しても。
お寺の子供たちはまだ子供ですから、ちょっと喧嘩して獪岳を追い出しても、明日が来れば大丈夫だと思っていた。まさかあんなことになるなんて、想像もしていなかった。だから悲鳴嶼さんも、子供たちを責めることはない。
そして、もう一つの真実。逃げ出そうとしていた沙代以外の三人は、実は悲鳴嶼さんを守るために動いていたということ。農具を武器に戦おうと、人を呼びに行こうと。
子供たちは目の見えない悲鳴嶼さんを、守らなければならないと考えたのです。そのことを200話で、知ることができた悲鳴嶼さん。悲鳴嶼さんは最後の最後で、胸のわだかまりを解消することができました。
コミックス16巻で悲鳴嶼さんは「子供というのは純粋無垢で弱く、すぐ嘘をつき、残酷なことを平気でする。我欲の塊だ」とまで言っていました。全ては、あの事件があったからです。
獪岳は本当にどうしようもないやつでしたが、他の子供は違った。そのことに気づけただけでも、悲鳴嶼さんは救われた。それがこの最後の、笑顔と涙へつながったのだと思います。
200話の沙代
悲鳴嶼さんは亡くなってしまいましたが、鬼殺隊では最強と言われ、無惨消滅に大きく貢献。そして最後には、子供たちへのわだかまりも解消することができた。
亡くなってしまったのは悲しいことですが、とても救われる死だったと、個人的には思います。
そして、最後に悲鳴嶼さんの手を握っている子供。これが私は、沙代のような気がしてならない。この隠の女の子、少し幼く見えます。そして、この女の子は一言も発していない。
沙代はあのとき、事件のショックでまともに話せなくなってしまいました。今では沙代も十四歳になっている。最後の子供は、それくらいの年代に見えないこともない。
おそらくこれは、ワニ先生なりのやさしさ。これが沙代とは名言していませんが、沙代っぽい少女を描くことで、沙代と悲鳴嶼さんのわだかまりもここで解消しているような。
沙代が悲鳴嶼さんに謝るために、隠に志願した裏話もありそうです。隠であれば、いつか会って話すこともできるだろうと。沙代も寺育ちなので、身寄りのない子供です。鬼に寺の家族を奪われた身として、鬼殺隊に入るのは自然な流れです。
隊士として戦うのは無理でも、隠なら役に立てる。そうして最終決戦という舞台で、悲鳴嶼さんの一番近くで最期を看取った。沙代は最後に話したかったけど、言葉が出なかった。けれど、他の子供達が伝えてくれた。
「みんな先生が大好き」
まとめ
今回は、岩柱・悲鳴嶼行冥の過去について深く掘り下げました。
それにしても、まだまだ7話は語ることが多くなりそうです。最後の無惨の登場シーンはBGM付きでめちゃくちゃかっこいい。まるで主人公のような扱い。
これは8話も期待できます。8話は盛り上がることが確定している回。最終回としてふさわしい内容。それを予兆させるこのラスト。さすがUfotable。
ということで、今回の記事は以上です。皆さんがアニメ柱稽古編7話で感じたこと、コメント欄に置いていってください。チャンネル登録、いいねと共有もお願いします。それではまた。