本日いよいよ柱稽古編6話が放送です。もう6話です。あっという間でした。鬼滅の刃アニメ柱稽古編は、8話完結の線が濃厚です。6話で岩柱・悲鳴嶼行冥の稽古、過去が描かれる。そして、7話・8話は実質合わせて最終回。
今回は、6話に登場するであろう、沙代という女の子について深掘りをしようと思います。動画の流れとして、6話の流れ、悲鳴嶼行冥の過去、その後に沙代についてお話しします。沙代の部分だけ見たい方は、概要欄の目次から飛んで行ってください。
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岩柱・悲鳴嶼行冥の柱稽古
柱稽古編6話ではまず、悲鳴嶼行冥の柱稽古が描かれる。悲鳴嶼さんの柱稽古は『筋肉強化訓練』。悲鳴嶼さんの家がある山奥で行われている。
体の中心となる足腰と重心を鍛える稽古で体を安定させる。全身の筋肉を強化し体幹を鍛えることで、正確な攻撃と崩れぬ防御を身につけることが目的。
まず第1段階として、異様に冷たい川で滝に打たれながら念仏を唱える。これを2時間。念仏を唱える理由は、集中するためと生存確認の意味もある。
次に、丸太三本を担ぐ修行。質量や長さが不明なので重さは不明ですが、300キロ以上はありそう。
そして最後は、人の背丈ほどの岩を一町先まで押すという訓練。一町とは約109メートル。動かすだけでも一苦労な岩を、109メートルです。
間違いなく、柱稽古の中で最も過酷な稽古。過酷というのは、突破が難しいという意味。今までの稽古も、過酷といえば過酷。しかし悲鳴嶼さんの稽古は、常人では突破が不可能に近い稽古。
作中では、炭治郎以外にこの稽古を突破したものはおらず、そのまま無限城へ突入という流れになった。あまりの過酷さに、悲鳴嶼さんの稽古は何一つ強制されることはなく、辞めたいものは山を下りてもいいという規則になっていた。
悲鳴嶼さんの考えとしては、これから先、上弦や鬼舞辻無惨と戦うために、少しでも柱の実力に近づいてもらいたいという想いがあったのでしょう。でなければ、大量に人が死んでしまうと。
ちなみに、悲鳴嶼さんはさらに過酷な稽古を実践しており、丸太にさらに岩をぶら下げて、足元には火をつけ耐える修行をしている。また、岩を押す訓練も、稽古のものよりも遥かに大きい岩を押していた。
反復動作
岩を押す訓練に苦戦する炭治郎。六日経ってもビクともしない岩。筋力というのは短期間で爆発的に強化できるようなものではない。
炭治郎はここで、痣を出し続けることの訓練も考えていた。痣が発現する時の爆発的な力。それを戦いのとき、常時発動できるようにしたいと。岩を押す訓練にも、痣の力を応用しようと考えていた。
痣の常中ともいえる、新たなスキル。任意で痣を発現させ、その状態を維持する。これは柱達も訓練している内容。この痣の発現の訓練について、柱が訓練している様子は原作では描かれていない。ここはアニオリがあるかも。
そして、現れる不死川玄弥。兄の実弥とのひと悶着以来の再会。刀鍛冶の里編以降、すっかり仲良くなった二人。玄弥は炭治郎の痣が濃くなっていることを指摘。岩の訓練のおかげで、徐々に痣の効果も上昇していた模様。
そしてここで、岩を押すのに苦労している炭治郎に、玄弥からのアドバイス。実は玄弥は岩を押せるという。その肝となるのが反復動作。集中を極限まで高めるために、予め決めておいた動作をする。玄弥の場合は念仏を唱える。
反復動作、いわばルーティン。分かりやすい例でいうと、イチローがバッターボックスに立つまでにいつも行う、一連の流れのようなもの。また、井上尚弥が強いパンチを放つ際に行う前動作のようなもの。スポーツによくみられるルーティンと似ている。
玄弥から炭治郎へのアドバイス。悲鳴嶼さんは教えるのが苦手なため、見て盗むしかないと言う。確かに玄弥は、悲鳴嶼さんの念仏を真似ているようだ。
反復動作の真髄は、全ての感覚を一気に開く技。実はこれ、透き通る世界とも通じている。全集中とは異なるもので、呼吸が使えない玄弥もできる。刀鍛冶の里でも、玄弥が念仏を唱えているシーンがありました。あそこで既に反復動作を使っていたのです。
悲鳴嶼さんや玄弥は、反復動作を行う際、怒りや痛みの記憶を思い出す。それにより心拍と体温を上昇させている。これはつまり、痣ともつながっている。痣の発現は、心拍数200以上、体温39度以上が条件。反復動作によりこれに近づく。
余談ですが、玄弥が思い出す痛みとは凄まじいものがありそう。玄弥は鬼化できる分、普通の人が死んでしまうような痛みを体験している。刀鍛冶の里でも腹を貫かれたり、体を穴だらけにされたり。この痛みの大きさは、反復動作にも影響があるかもしれない。
玄弥は、痣の状態は反復動作を行った状態と同じではないかと言う。玄弥に確信はないけれど、この考察は当たり。
炭治郎の反復動作は、まず、大切な人の顔を思い浮かべること。ここで家族を奪われた時の怒りを思い出す。そして、煉獄さんの言葉を思い出す。
『心を燃やせ』
家族を殺されたという鬼への怒りを起点に、心を燃やして心拍数・体温を上昇させる。それが炭治郎の反復動作の一連の流れ。
今までも、心を燃やせという言葉は 大事な局面でいつも唱えていた。そして、炭治郎が集中力を高めていたという場面があった。つまり、今までも炭治郎は、無意識に反復動作を行っていたということ。そこに、家族を殺された怒りをプラスすることで、炭治郎の反復動作は完成、真の形となった。
そして、反復動作を何度も何度も繰り返すうちに、ついに炭治郎の痣が常時発現。その状態で岩を動かすことにも成功。この、押せるか押せないかの岩を押す訓練が、ちょうど痣を常時発現させるための訓練として、ベストなものだった。
そして、炭治郎に影響され、伊之助も反復動作を習得。伊之助の反復動作は、まず好物である天ぷらを思い浮かべ、猪突猛進と叫ぶ。今までも伊之助は、事あるごとに猪突猛進と叫んでいました。意味が分かっているかは不明ですが。
これには同じかまぼこ隊として、善逸も焦りを感じている。そしてここで、善逸にある手紙が届く。この手紙により、善逸は反復動作とは別の意味で怒りを燃やしていく。
訓練終了
反復動作と痣の力を使い、炭治郎は一町先まで岩を押すことに成功した。しかし、意識が朦朧としている。それもそのはず。痣の状態で動き続ければ命にかかわる。さらに水分補給を怠っていたため、脱水症状に陥っていた。
そこに、見守っていた悲鳴嶼さんが登場。炭治郎に水分を補給させる。そして、竈門炭治郎を認めると言った。悲鳴嶼さんが認めたのは、刀鍛冶の里で炭治郎が、妹よりも里の人間の命を優先したこと。
しかし、これは炭治郎も言うように、妹の禰豆子の決断による影響が大きかった。それを正直に話す炭治郎。そして、簡単に自分を認めないでくださいと言う。
それを聞いた悲鳴嶼さんは、逆に炭治郎をさらに認めることに。子供は嘘つきだという固定概念を持っている悲鳴嶼さん。いつも嘘をつかない真っすぐな炭治郎を見て、子供への考え方が変わりつつあった。
岩柱・悲鳴嶼行冥の過去
炭治郎を認めた悲鳴嶼さん。実は義勇に似て言葉足らずな悲鳴嶼さんは、突然過去のことを話し始める。
悲鳴嶼行冥の両親については、母親は出産時に死去、父親は病によって亡くなっている。身寄りが無くなった悲鳴嶼さんは寺育ちだった。
行冥は寺に住み、盲人ながらも孤児を引き取って暮らしていた。血の繋がりこそなかったものの、仲睦まじく互いに助け合い、家族の様に暮らしていた。行冥はずっとそのように生きていくつもりだった。
とある日「日が暮れる前に家に戻る」という言いつけを守らなかった一人の孤児が、山中で鬼と遭遇してしまう。こいつが後の上弦の陸・獪岳。
獪岳は自分が助かるために鬼に命乞いをし、なんと、寺にいる行冥や子供たちを鬼に喰わせると差し出した。
獪岳は、鬼の脅威を防ぐために焚いていた藤の花の香炉を消し、寺の中へ鬼を招き入れた。そして、すぐに四人の子供が殺されてしまう。
行冥は他の子ども達を守ろうとするも、子供達は言うことを聞かずに逃げ出してしまう。当時の行冥は、食べる物も少なく痩せ細っていた。また、気も弱かったため大きな声を出したこともなかった。
さらに盲目ということで、子供たちは行冥を頼っても助からないと判断したのだ。その結果、逃げ出した三人の子供も鬼に殺されてしまう。
たった一人、一番年下の沙代だけが、行冥の後ろに隠れて泣いていた。行冥は、沙代だけは守らねばと必死で戦った。生き物を殴る気色の悪さを感じながら、全力で拳を振るう。
その威力は、行冥自身も恐れるほどの威力。鬼に襲われなければ、行冥は自分が強いということを死ぬまで知らなかった。
そして行冥は、夜が明けるまで鬼の頭を殴り潰し続けた。夜の間、鬼は再生を続ける。朝日により消滅するまでは。
そうして命がけで沙代を守り抜いた行冥。朝になり、人が駆け付ける。そこで沙代は言った。
「あの人は化け物。みんなあの人が、みんな殺した」
鬼は朝日により消滅していたため、沙代が言ったあの人とは、自動的に血まみれの行冥となってしまった。そして行冥は、殺人の罪で投獄されてしまう。そのうち処刑される予定だった。
6話の終わりについて
行冥は炭治郎に、お館様が助けてくれていなければ、自分は処刑されていたという。
そして、過去の出来事がきっかけで、疑り深い性格になったとも言った。もちろん炭治郎のことも最初は疑っていた。どれほど善良そうに見えても、人は土壇場で本性が出る。
しかし、炭治郎は逃げず、目を逸らさず、嘘をつかず、素直でひたむきだった。簡単なことのようだが、どんな状況でもそうあれる者は少ない。炭治郎は特別な子供。行冥はそう言った。
大勢の人間を、心の目で見てきた行冥が言うのだからこれは絶対。行冥は、心の底から炭治郎を認めた。
そして、炭治郎の頭をなでる。昔寺で沙代にそうしたように。
沙代のその後
行冥に助けられた沙代。その後はどうなったのか。単行本16巻の扉絵で語られている。
沙代が言った『あの人は化け物、あの人がみんな殺した』と言ったあの人とは、行冥のことではなく鬼のこと。初めて鬼を見た沙代は、鬼のことを化け物のような人と認識していた。
沙代は事件のショックにより、まともに話すことができなくなっている。そのため、行冥の容疑を晴らすことができなかった。沙代は14歳になっており、今でもその時のことを謝りたいと思い続けている。
過去の真実
柱稽古編アニメ6話で描かれる、悲鳴嶼さんの過去の話。真実は少し違います。
まず、獪岳は言いつけである門限を破ったのではなく、お寺の子供たちに追い出されていたということ。その理由はコミックス17巻に書かれています。獪岳はお寺のお金を盗んだことで、他の子供たちから責められ、お寺を追い出されていたのです。
悲鳴嶼さんは獪岳のことを鬼から聞くまで、そのことを知りませんでした。お寺の子供たちからは、獪岳は寝ていると聞いていたためです。
原作200話、悲鳴嶼さんの最期のシーンで、子供たちが獪岳のことに対して謝っていたのは、獪岳が寝ていると嘘をついたことに対してでした。そして、獪岳を追い出してしまったことで、みんなが殺されてしまったことに対しても。
お寺の子供たちはまだ子供ですから、ちょっと喧嘩して獪岳を追い出しても、明日が来れば大丈夫だと思っていた。まさかあんなことになるなんて、想像もしていなかった。だから悲鳴嶼さんも、子供たちを責めることはない。
そして、もう一つの真実。逃げ出そうとしていた沙代以外の三人は、実は悲鳴嶼さんを守るために動いていたということ。農具を武器に戦おうと、人を呼びに行こうと。
子供たちは目の見えない悲鳴嶼さんを、守らなければならないと考えたのです。そのことを200話で、知ることができた悲鳴嶼さん。悲鳴嶼さんは最後の最後で、胸のわだかまりを解消することができました。
コミックス16巻で悲鳴嶼さんは「子供というのは純粋無垢で弱く、すぐ嘘をつき、残酷なことを平気でする。我欲の塊だ」とまで言っていました。全ては、あの事件があったからです。
獪岳は本当にどうしようもないやつでしたが、他の子供は違った。そのことに気づけただけでも、悲鳴嶼さんは救われた。それがこの最後の、笑顔と涙へつながったのだと思います。
200話の沙代
悲鳴嶼さんは亡くなってしまいましたが、鬼殺隊では最強と言われ、無惨消滅に大きく貢献。そして最後には、子供たちへのわだかまりも解消することができた。
亡くなってしまったのは悲しいことですが、とても救われる死だったと、個人的には思います。
そして、最後に悲鳴嶼さんの手を握っている子供。これが私は、沙代のような気がしてならない。この隠の女の子、少し幼く見えます。そして、この女の子は一言も発していない。
沙代はあのとき、事件のショックでまともに話せなくなってしまいました。今では沙代も十四歳になっている。最後の子供は、それくらいの年代に見えないこともない。
おそらくこれは、ワニ先生なりのやさしさ。これが沙代とは名言していませんが、沙代っぽい少女を描くことで、沙代と悲鳴嶼さんのわだかまりもここで解消しているような。
沙代が悲鳴嶼さんに謝るために、隠に志願した裏話もありそうです。隠であれば、いつか会って話すこともできるだろうと。沙代も寺育ちなので、身寄りのない子供です。鬼に寺の家族を奪われた身として、鬼殺隊に入るのは自然な流れです。
隊士として戦うのは無理でも、隠なら役に立てる。そうして最終決戦という舞台で、悲鳴嶼さんの一番近くで最期を看取った。沙代は最後に話したかったけど、言葉が出なかった。けれど、他の子供達が伝えてくれた。
「みんな先生が大好き」
まとめ
今回、原作200話を見返してみました。泣ける。ここがアニメで描かれたら、柱稽古編の過去と合わせてまた号泣する。
沙代のこの先も気になる。どこかのアニオリで、悲鳴嶼さんと沙代が話すシーンが描かれるのか。それとも最終決戦で、これが沙代だと明かされるのか。運営さん、頼みます。
ということで今回の記事は以上です。本日の柱稽古編6話、一緒に楽しみましょう。それではまた。