鬼滅の刃 童磨は酷いやつ?それとも優しいやつ?
アニメ『鬼滅の刃』遊郭編の最終話で登場し、声優が宮野真守さんであることが判明した、かつての上弦の陸・童磨。
続く刀鍛冶の里編の第1話で登場すると思われる彼の正体は、現在の上弦の弐です。
童磨は、他の上弦の鬼と異なり、相手を問わずフレンドリーな性格。
それゆえか、鬼の中ではやや浮いた存在です。
今回の記事では、そんな童磨の性格について注目し、考察していきます。
人間の信者からなる宗教団体の教祖を務めるなど、特異なエピソードを多く持つ童磨。
本音の彼は、果たして「酷い奴」なのでしょうか。
それとも、「優しい奴」なのでしょうか。
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では参ろう。
童磨というキャラクター
冒頭でも述べた通り、童磨は十二鬼月の第二席・上弦の弐として認められている鬼です。
鬼舞辻無惨によって生み出された鬼の中で、十二鬼月に名を連ねる鬼は、多くの特権を与えられています。
特に、上弦に名を連ねる6体の鬼は、別格扱い。
100年以上にわたってその座を維持し続けている実績もある為、無惨からの信頼もひとしおです。
以下からは、そんな童磨が鬼になった経緯や、鬼としての活動について見ていきましょう。
童磨の過去
人間時代の童磨は、宗教団体・万世極楽教を営む両親のもと、虹色の瞳と白橡の頭髪を持って生を受けました。
稀有な身体的特徴を持つ童磨は、両親はもちろん、極楽教の信者らの崇拝の対象となります。
「神の声が聞こえる」として、様々な信者の応対を任されていた童磨。
しかし童磨本人は、神や極楽浄土の存在を一切信じておらず、「神の声」が聞こえたためしもありませんでした。
だからこそ童磨は、居もしない神や、存在しない極楽浄土を信じる人間に対し、憐憫の情を抱くようになります。
信者の愚かさに憐れみを感じ、涙を流す童磨。
そしてそれを見た信者は、童磨の涙を慈愛によるものと信じ、更なる崇拝を抱きます。
そんな童磨が鬼となったのは、20歳の頃でした。
早くに両親を亡くした童磨は、以降も万世極楽教の教祖として活動を続けており、無惨によって鬼となって以降は、極楽教の方針も変わり始めます。
無惨との出会いに感動した童磨は、極楽教の「神」を鬼舞辻無惨と定めたのです。
さらに童磨は、人間を残さず食べることを「救済」と呼び、信者の肉体を食すようになりました。
妓夫太郎と堕姫を救う
続いては、アニメ『鬼滅の刃』遊郭編の最終話で描かれたエピソードについてご紹介します。
100年以上前、後の上弦の陸・妓夫太郎と堕姫の兄妹の前に、童磨は現れました。
その当時梅という名だった堕姫は、武士によって火炙りにされてしまい、死の淵を彷徨う状態でした。
黒焦げになった梅を背負い、遂に倒れ込んでしまった妓夫太郎。
そんな2人の姿に憐れみを覚えた童磨は、無惨の許可を得て血を与え、梅と妓夫太郎の命を救ったのです。
既に述べた通り、梅は全身に大やけどを負った状態であり、当時はもちろん、現在の医療でも救命は不可能に近い状態でした。
童磨が行った鬼化は、梅と妓夫太郎の2人共が助かる唯一の道。
童磨は、文字通り2人の命の恩人です。
伊之助の母と童磨
続いては、童磨と伊之助の母・琴葉に関するエピソードです。
原作漫画『鬼滅の刃』18巻の第160話。
無限城内の一室で、栗花落カナヲ・嘴平伊之助と戦っていた童磨は、伊之助の素顔に既視感を感じました。
その理由は、かつての童磨が、伊之助の母・琴葉を保護していたことがあったから。
時は遡って15年前。
18歳前後の女性が、童磨が教祖を務める万世極楽教の寺院を訪ねてきました。
その女性とは、もちろん前述した伊之助の母・琴葉です。
琴葉は、夫から酷い暴力を受けており、姑からも毎日いじめを受けていました。
極楽教に逃げ込んだ当時の琴葉は、原形がわからない程に顔が腫れあがっていたとのこと。
片方の眼は既に失明していたものの、極楽教の手当によって、顔は元の綺麗さを取り戻すことが出来たようです。
顔に加えて心も綺麗な琴葉を、側に置いておきたいと思った童磨。
琴葉を取り戻すために夫と姑が寺院に乗り込んできた際は、「うるさい」と言って慈悲なく2人を殺害しており、遺体は山に捨てています。
「救済」と称して信者を食していた童磨でしたが、琴葉の事は寿命が尽きるまで手元に置いておこうと思っていたとのこと。
しかし、勘が鋭かった琴葉は、童磨の「救済」を知ってしまい、寺院から逃亡するに至ります。
真実を知った琴葉を生かしておくわけにはいかず、童磨は彼女を追いかけたうえで殺害しました。
琴葉によって崖下に落とされた伊之助は、生き残ったうえで強靭な剣士となり、15年越しに母の仇と対峙するに至りましたが、それはまた別のお話。
なぜ伊之助母を救ったのか
万世極楽教の教祖として、様々な信者と会い、「救済」を行ってきたであろう童磨。
彼は、人間の身体を残さず食べることを「救済」と呼び、そしてそれが自身の使命であると信じて疑いませんでした。
この思想を信じるのであれば、虐待という憂き目にあった琴葉は、絶好の救済対象のはずです。
しかし童磨は、琴葉の心が綺麗であることを理由に、彼女を生かし、その寿命が尽きるまで手元に置いておこうと考えました。
童磨が琴葉を生かした理由は、本当に「心が綺麗だから」だけなのでしょうか。
童磨の両親
童磨と琴葉について考察するにあたって、人間時代の童磨の両親について振り返ります。
冒頭で述べた通り、童磨の両親は当時の万世極楽教を運営していた人物。
稀有な身体的特徴を持った童磨を「神の子」として用い、教団の中核として育てあげました。
しかし、そんな両親と童磨の日々は、長くは続きません。
なんと、信者の女性に次々と手を出していた童磨の父を、童磨の母がめった刺しにして殺害したのです。
その後、童磨の母は、半狂乱状態で服毒自殺に及び、童磨は孤独の身となります。
感情に乏しかった童磨は、そんな凄惨な現場を見てなお、「部屋を汚さないで欲しい」など至極落ち着いた感想を抱くのみ。
しかし、このような幼少体験が、その後の行動原理に影響を及ぼさないはずがありません。
童磨は母に思うところがあった?
話は伊之助の母・琴葉に戻ります。
琴葉が極楽教の寺院を訪れた際、彼女の腕には赤ん坊の伊之助の姿がありました。
童磨は一目見ただけで、琴葉が母親だと理解できたはずです。
歪な両親のもとで育った童磨は、言うまでもなく、「母の愛情」が欠落した状態で育った人物。
だからこそ、愛情深い琴葉の姿を見て、なにか思うところがあったのではないでしょうか。
自身の母が、若くして発狂し、そのうえ服毒自殺してしまった童磨。
だからこそ、琴葉のような母には、歪むことなく生を全うして欲しい、そんな想いが芽生えたのかもしれません。
後述する通り、童磨には強い感情が欠落していますから、当人としてはそのような意識が全くなかったことでしょう。
しかし深層心理としては、「母」や「母の愛」への渇望が存在したのではないでしょうか。
無感情な童磨
童磨は、喜怒哀楽を始めとする感情が生来欠落しており、それゆえに人間の感情を理解することが出来ませんでした。
しかし童磨は聡く、他者に寄り添う人心掌握術を持っています。
だからこそ童磨は、今日に至るまで万世極楽教を、営み続けることができたのでしょう。
とはいえ、全く何も感じないというわけではなく、快や不快、憐憫などの気持ちは湧出していた様子。
また、人間を食べるという行為に対して、本心から「救済」という言葉を用いていることより、歪ながらも人間への思いやりは感じられます。
誰にでも等しく接することが出来るという意味で、無感情の中には優しさをくみ取ることも出来ます。
童磨は優しい?酷い?
ここまで、童磨の過去やこれまでの行い、性格について振り返ってきました。
万世極楽教の教祖として、本心から信者を「救済」し、幸せへと導いてきた童磨。
彼にとってその行為は優しさそのものです。
一方で、極楽教の信者でない者にとって、その行為は異常そのもの。
ともすれば、極楽教の信者にとっても、童磨の掲げる「救済」、つまり「食べられること」に共感する者は多くはないのかもしれません。
しかし、琴葉をはじめ、虐待などの異常な環境から保護を受けた者は、童磨や極楽教に対して底知れない優しさと安心を感じているはずです。
また、童磨の「救済」が嘘に塗れたものであるならまだしも、童磨本人は「救済」が幸せに繋がると信じて疑っておらず、自身が優しい人物であると確信しています。
極楽教に属しないものからは異常者である童磨ですが、極楽教に属する者達にとっては「優しい教祖様」そのものだったのではないでしょうか。
また、本人は自身の行いを善行であると思っている点で、その善行を長きに渡って続けている童磨は、根の部分で優しい人物なのかもしれません。
まとめ的なもの
以上、童磨の行いや、性格について考察を行いました。
鬼を恨むものや、既に幸せな日々を送っている人々にとって、多くの人を食っている童磨は「酷い奴」として写ることでしょう。
しかし、琴葉のような、地獄ともいえる環境から救い出され、まともな生活を用意してもらった信者達にとって、童磨は優しい教祖様そのものだと思われます。
宗教的要素が絡んでいるからこそ、童磨の考察については難しいものがありますが、彼の性格には優しさをくみ取ることが出来そうです。
今回の記事は以上となります。
あなたの童磨考察も、是非コメント欄にお寄せください。
童磨ファンの方は、是非熱い想いを書き込んでいってくださいね!
それではまた♪